古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ルサンチマンがなくなる日

最近思うんです。私はなぜ非モテブロガーなのか。まぁ、「気がついたら」「好きなこと書いてたら」というのが真相なんですが、少し考えてみたいところではあります。ちなみに、「お前当事者性ないじゃん」というのは、なしね。泣いちゃうから。
米光ゼミなんかで米光一成先生はじめ、皆さんと飲み会の時なんかによく話すんですよ。非モテのこととか。どんだけキモイ子だ。でもなかなかわかっていただけない。要するに当事者性あり=非モテだから当事者性のない人間がモテる、モテないという話をすること自体がおかしいと。至極まっとうなご指摘をいただくわけです。
非モテの話をえ〜と恋愛不全の話だけだとするとまぁそれは圧倒的に正しいと思います。というわけで私の存在意義はありません!


といけばいいんですが、なかなかそうは問屋がおろさないんです。
Cクラス問題というか、我々がちっとも「素晴らしく」ないという問題があるわけじゃないですか。例えば同じ事をしても「素晴らしい」方たちは賞賛され、Cクラスの人間がやるとよくて無視、悪いと罵倒という。そして、服にしろ、趣味にしろ、価値観にしろ常に適応を求められるという。文化系女子とリアルで話す場すら私たちには与えられていないという事。そしてちょっとでも「狂った」人間には「オタク」「キモイ」「人間として異常」といういつもの言葉が待っているわけです。
これは私が昼間、職場で展開される事を日常をそのまま文章にしているだけなんですが、ともかく、この広い意味での「生き辛さ」や「素晴らしい人々」への違和感表明こそが非モテだと私は思っています。まぁ異性にモテるモテないというのはいわゆる非モテ問題のかなり大きなウエイトを占めているとは思うんですが、それだけではないと。中絶が是か非かだとか、日本を愛する愛さないだ、M2われらの時代だ、桜井亜美だ、上野千鶴子だなんていうのは私にしたらそれこそホントどうでもいい話なんです。
オタクにもサブカルにもなれず、「狂人」のレッテルを貼られた人間がどうやって生きるか、生き辛さをどうやって解消していくか、そういう話だと思っていました。その回答が恋愛だけにあるはずはないという確信が私にはあります。当事者性のない人間のアホな物言いだと罵っていただいても構いません。でも、童貞じゃなくなってもCクラス的妄想やCクラス的ルサンチマンは全然なくならなかったよ、私は。ルサンチマンがなくなる日なんて多分来ない。でも、それでもいいんです。