古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

白童貞と自意識の監獄

白童貞の実践可能性について考えてみます。

白童貞の思想としてはわりとよくわかります。


石ころ帽子*1被っておとなしくしていますよ、というのと、自分だけの価値観なり物語なりを(脳内で)つくりますよ、という両輪なわけです。


さて、ここで疑問なのが、それをどこまで厳格に実行できるのかという疑問。
私はその実現レベルは結構低いと思います。到達点であるところのヘンリー・ダーガーを100とすると、いって50ぐらいじゃないかなぁと思います。白童貞というソリューションの有効性つうことを考えると全く無駄だとは言わないけど、相当に厳しいと言わざるを得ないです。
なんでか。
私たちは生まれてきた時から自意識を刺激され続けてきました。
いろんなメディアなんかにによって。
色んなものを消費したり、自己実現したり、金を稼いだり、(当然)恋愛したりするのが正しい人間だと。
それに比べてあまりにも白童貞としての自分の人生が味気なさ過ぎる。つまり石ころ帽子を被っててもそれによる人生のつまらなさに耐え続けられるか、という問題がまずあります。
そして、面白くするためには何か楽しみを見つけなければならない。(2次元アニメみたいな)メジャーな趣味ならば、もうそれを選んだ時点である種の優越感ゲームに巻き込まれてしまうというのは自明でしょう。で、マイナーな趣味はどうかというと、見つけられる人はいいけれど、それを見つけること自体結構な才能が必要だし、維持するのも努力が必要なのではないか、と思います。

と、いうのがまず一点です。
もう一つ。
恋愛する、しないみたいな話にとどまらず、広い意味での「モテる(=ちやほやされる)」事を拒否することはかなり難しい。これは二次元美少女でシコシコしてれば解決されるような話ではない。だって、本田透もいくら「モテの魔の手」だとかなんだっていっても実際チヤホヤされてんじゃん。(ライターとして)仕事も前より沢山入って来てるわけだし*2本田透の一派というのは脳内オナニーシステムの整備を主張したんだけど、本人はチヤホヤされてるし、信者の一部は「・・・」なわけですし。
そして、白童貞的観点から言うと、いわゆる非モテブロガーみたいな人間は(意見に関係なく)最低の評価を受ける事になる。ブログなんてものは自意識過剰の最たるものなんだから。


つまり、白童貞になるのはわりと簡単なんだけど、その道を極め、童貞導士→童貞賢者とジョブチェンジしていくのが難しい。 まとめると、いくら非モテだっつっても、(異性・同性含めて)他人に知られたい、他人と繋がりたいという欲望を完璧に消し去るのはかなり難しい。 脳内妄想力の強化はできても石ころ帽子をかぶり続けるのは難しい。


では、黒童貞だったらどうかっていうとまぁこれもまたすごくむずかしい。黒童貞の場合はたまねぎ童貞から黒童貞になること自体が難しい。いや、なれるんだけど戦闘でゴブリンに瞬殺されるような。・・・と長くなってきたので、次回に続く!(と、思う)

*1:ドラえもんに出て来た秘密道具。被ることで周りから自分の存在を消すことができる(姿が消えるわけではなくて、意識されなくなる)。

*2:この意味でいうと本田透伊集院光となんの違いがあるのだろうか?