古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

はてな村博物誌4「ABCシステム論」


天は何も語らず歴史をして語らしむ

  • ABCシステム論とは何か

ABCシステム論(ABC-System(s)Theory)は、日本の某三流私大の学生・非モテの、アドマイヤ・ウォーラステイン*1が提唱した巨視的コミュニティ理論です。

各コミュニティを独立した単位として扱うのではなく、より広範な「ABC」という視座から「青春時代*2」を考察しています。 その理論の細部には非モテ・オタク・メンヘル等、各専門家から反論が寄せられていますが、青春を一体として把握する総合的な視座の重要性については広く受け入れられています。

ABCシステム論の下敷きになっているのは「ジャイアニズム」です。これはフジコ=F=マルクスとフジーコフジオ=Aンゲルス*3コンビ名、マルクス・Aンゲルスによって書かれた「青狸党宣言」内において詳しいです。
その中でマルクスとAンゲルスは次のような比喩を用いて青春時代のコミュニティの状況を明らかにします。
つまり、ガキ大将で周りの富を容赦なく収奪する存在であるところのジャイアン、収奪される存在であるところの野比のび太(のび犬と表記される事もある)の関係です。
「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」というあまりにも有名な言葉によって表されるジャイアンとのび太の関係は「ジャイアニズム」と呼ばれていますが、そこで想定されている関係はあくまで伝統的な「ガキ大将といじめられっこ」のそれであり、他地区のガキ大将との戦いや大長編などではジャイアンは頼もしい庇護者として書かれている事を忘れてはなりません。
「青狸党宣言」巻末の、
「万国の野比のび太よ、団結せよ!」という言葉は有名です。

  • ABCシステムとは何か

ABCシステムとは、学校を中心とした複数のコミュニティ(学校、部活、塾など)を含む広大な領域に展開するピラミッド体制です。つまり、コミュニティの中心者たるAクラス(中心)、その追従者であるがある程度独立した権限が認められているBクラス(半辺境)、コミュニティ内で邪魔者扱いされるCクラス(辺境)によって構成され、当然、Aクラスの考えにBCクラスは従わざるを得ない、そんなピラミッド体制の事です。
ライフステージ上、ABCシステムは政治的統合を伴う「ABC帝国」か政治的統合を伴わない「ABC収容所」、どちらか二つの形態をとってきました。ABC帝国はコミュニティ内の表の秩序(学級委員、班長、生徒会など)を伴った支配であり、一方、ABC収容所とは、必ずしも表の秩序を伴わず、「なんとなく」序列・支配が作られます。一般に年齢を経て入ったコミュニティであればあるほどABC収容所の形態を採る可能性が高くなります。ABCシステムによってAクラスは様々な利潤を手にします。つまり、クラス内での様々な便益*4の確保から、いじめの回避、回避どころかいじめ行為=Cクラスの生殺与奪の権利を握っている*5、異性の獲得、さらに(Cクラスからの収奪という形で)金銭的な見返り(もちろんこれは犯罪ですが…)を得たりといった利潤を得ます。一方でCクラスはAクラスが受けている利益の分だけの不利益を蒙ります*6。また、Aクラスは何故かコミュニティ内の大人からの評価が概して高くなる事には注目する必要があります。亀田兄弟の例を出すまでもなく、世の中の大人は人に迷惑を掛けない根暗よりも上記のような犯罪すれすれの行為をしていても「コミュニケーション能力」に優れた「素晴らしい人々」を評価する傾向にあります。
ABCシステムは相対的なものですので、Cクラスの人間が属しているコミュニティによってBクラスになったりCクラスになったりする事があります。それが一番顕著なのが昇級時のクラス替えと小→中→高→大と学校が変わる時期です。
この時期に意図的にランクアップを目指してオタク趣味の隠蔽、ファッションの変更、脳内彼女/彼氏の作成等を行う事を「○○デビュー」といいます。もちろん、「デビュー」は失敗する事も多く、年齢を経れば経るほど「デビュー」失敗の可能性は高くなります。

  • 中高ABCシステムの蹉跌

小学校時代や大学時代において存在したABCシステムと、中学・高校時代に成立する「中高ABCシステム」が決定的に異なるのは、どこでしょうか。前者があくまでABC帝国という支配形式を採る(小学校時代)か、さもなくばとても緩い支配体制を採った(大学時代)のに対し、後者はABC帝国としての支配も多少は行いつつ、ABC収容所として各個人の前人格を掛けた闘争の場となり、敗北者(Cクラス)には容赦のない仕打ちが待っている事です。A=ウォーラステインは中高ABCシステムによって規定されたクラス分類はその後の人生に大きな影響を与え、引いては「デビュー」することもなく一生Cクラスである可能性があるとしています。つまり、(コミュニケーション能力の)「低スペック化」です。これについては後で詳述します。
その証拠に大学時代に「デビュー」「脱オタ」等の行動をとらずCクラスコミュニティに安住し続ける、という適応形式を取る例が数多く報告されています。この適応形式は「ぬるま湯」状態と俗に呼ばれます。

  • (コミュニケーション能力の)「低スペック化」

A=ウォーラステインによれば、中高ABCシステムにおいてコミュニティ内の利潤分配は著しく中央に集中しますが、本来それを正すべき「大人」が潜在的なAクラス支持者であるため、この経済的不均衡の是正が行われる可能性は極めて小さい。その為、中高ABCシステムは内部での地域間格差を拡大する傾向を持つ事になるといえます。単線的脱オタ論によれば「周辺」Cクラスはエルメスに出会うなりして「脱オタ」、「デビュー」を経て、やがて「中心」Aクラスに追い付く、少なくとも経済格差は縮まっていくはずであるが、この様な理由により、CクラスはAクラスが受けている利潤の分だけ不利益を受けているため、ルサンチマン、トラウマなどにより(コミュニケーション能力の)「低スペック化」として固定化されてしまっています。さらに、彼らが選びうる唯一の選択肢としてサブカルチャー、中二病といったものにアイデンティティを仮託した優越感ゲームをやらざるを得ない「モノサブカルチャー」という現象が起こります。さらに「オタク」に自らのアイデンティティを投影した場合、日常生活の全てがアニメ中心に回る「アニエンクロージャー」という現象が発生する可能性があります。
「モノサブカルチャー」や「アニエンクロージャー」は個人の「低スペック化」をさらに促進し、Cクラスとしてさらに固定化されるという悪循環を起こすという事が報告されています。


(この項、了)
世界システム論 - Wikipedia

*1:id:admire-don師

*2:中・高校生、大学生時代

*3:く、苦しい…

*4:掃除当番を逃れられるといった程度のものから、クラス内の人事への介入、やりたくない義務の放棄など

*5:他人の人生を決定付ける可能性があるという認識は彼らにあるのだろうか・・・。

*6:コミュニティ内の利潤は一定ですから