ミルトン・フリードマンに捧ぐ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061117-00000021-san-soci
ミルトン・フリードマンが亡くなったそうです。
一応リバタニアンの自称している人間としては割と関心事ではあるところなのですが、残念ながらフリードマンの著作は一度も読んだ事がございません。よって、リバタニアン非モテ的駄文を多少書いてこれをもって追悼とさせていただきたいと思います。
リバタリアニズム(英:libertarianism)とは、個人は、他人の同様の自由を侵すか又は他人への害とならない限りにおいて、自分とその財産を自由に出来るべきであると提唱する政治哲学である。リバタリアンは「すべての人間の交流は自発的かつ合意に基づいているべきである」ということを基本認識としている。リバタリアンは、個人あるいは財産に対する強制的な力の行使あるいは脅迫がこの原則の違反であるとしている。
これだけで全ての非モテ問題を説明できるのではないのでしょうか?
これはとても簡単な理屈です。要するに、「個人の自由は最大限尊重されるべき」という事です。
これは単純な分なかなか真っ向から否定する事はできません。
つまり、脱オタ、D.T.、鯛男、喪男といった一連の派閥をどれを選ぼうともはすべて「他人の迷惑さえかけなければ自由」なわけです。ここに私が、脱オタ問題は個人の勝手と言っている理由があります*1。一方で、「素晴らしい人々」の言う、「まともな人間ならば云々・・・」「営業ならば云々・・・」というのはすべてリバタニアンに対する重大な挑戦であると言えるでしょう。
つまり、
個人あるいは財産に対する強制的な力の行使あるいは脅迫
彼らの論理はこれ以外の何者でもないわけです。
だからこそ私はこの「素晴らしい人々」を口を極めて罵ります。彼らを絶対に許すことは出来ない。
こういう檻に入っている私はダメでしょうか??