古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「更生」してもしなくても要するに非モテは「負け組」なんだけど、そこは引き受けないと話が始まらない

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20061130/p1
http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20061130/p1
「俺たちは真面目にやってきたのに損ばかり…。ヤンキーの奴らはズルい!問題」はどうでもいいようで実は大変に重要なお話だと思います。昨今のはてなの非モテ界隈を賑わしてきた「女に奢るべきかどうか」なんてもんは本当にどうでもいい話だと私なんかは思うんですが、これはそうはいかない。これはいわゆる文化系だとか、非モテだとか、非コミュだとか、喪男だとかそういった人々にとって最も基本的なルサンチマンの源泉であるからです。


もちろん、「ヤンキーは実はいい人間」言説というのはギャグでもあります。青木あざみ*1や「だからあなたも生き抜いて」の人、ヤンキー先生水谷修などなど・・・彼らはもちろん我々にすがすがしい笑いを提供してくれます。しかし、「ヤンキー実はいい人」伝説はマンガやドラマ等で度々描写されるものではあるのですが、この「お約束」だけがなぜここまで強固に信じ込まれているのでしょうか。「図書館司書の牛乳瓶の底みたいなメガネしてる女の子がメガネ取ったら実は美人だった」っていうのと同じぐらいレアなイベントであるにも関わらずこの「ヤンキー実はいい人」伝説は皆に信じられている。ヤンキー先生などはこれらの伝説を補強・強化するために派生してきた人間であるので、どんな事をしても「ギャグ感」が漂う事になり、ある一方の人からするとギャグ、ある人からすると救いの神となるわけです。


思いっきり嫌味な言い方をすると、つまり、義家氏というのは要するにオウムの水中クンバカや空中浮揚の写真みたいなものなわけです。


だけど、あんまりギャグとも言ってられない。
あまりにも多くの人々がそれを信じていると、ギャグだろうがトンデモだろうが、それが真実になるから。
現に、どうやら世の中の人々というのはオタクやら非モテなんぞよりよっぽどヤンキーの方がお好みらしい。
我々の精神的・肉体的な暴力を加え続けた人間が実は我々よりもよっぽど「善人」になるという皮肉!
これに腹を立てないほうがよっぽどおかしい。


だけど、そのルサンチマンというのは溜め込んでもどうしょうもない種類のものです。
価値基準が全く違うのだから、ヤンキーとオタクというのは基本的に会話がなりたたない。
例えば、もし文化系的な栄達を極める=大手アニメ会社に就職とかロッキンオン入ったとか、してもヤンキーなんてそれに何の敬意も示さないでしょう。それは彼らの価値体系の中では全く理解できないから。粉川しのばりにPrimalscreamのライナーノーツ書いたりしても何の意味があるんだ!という。
彼らを黙らせるには金の力しかない。アニメ会社で年収1000万だと、2000万だと、そうしなければ彼らは黙らないだろうけれども、そんなところまで到達できる可能性がはたしてどれほど存在しているのでしょうか?


せめて、そのルサンチマンを使って彼らのいない場所=つまり、彼らと仕事上でもプライベートでも係わり合いにならない場所に行くように、行けるように努力してあんまり考えないようにするしかないと思います。
価値体系が全く違うのだから、そういう人を相手にしていても不毛なだけ。だからせめて自分の視界にヤンキーが入らないようにするしかないと思います。
それは東大入れってことでもあるし、はてなやろうぜって事になるのかなぁ・・・。

*1:TBSの「大家族モノ」の人