文化系ニートへのひらきこもりのすすめ
- 作者: 渡辺浩弐,西島大介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/04/03
- メディア: 単行本
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今日、買って一日で読み終わりました。はてな「村」へ入村希望の人ほど是非読んでみて欲しいと思います。
ここのところ自分がおぼろげに考えていた事がそのままずばり書かれていました。
本の主張は一行ぐらいで要約できます。つまりそれは、
クリエイティブ活動*1への参入障壁が限りなく低くなる事で、みんながクリエイティブ活動をするようになるし、クリエイティブできる人間が(例えひきこもりでも)尊敬されるようになる
というものです(二行かかった)。
「1999年のゲームキッズ」の頃からファンだったので、その人がこういうものを書いてくれたというのはとても嬉しい気がしています。確かにいわゆる文化系ニートたる自分の事を思うとツボをつかれまくっている感じはあります。
クリエイティブの敷居が下がったっていうのはその通りで、例えば編集者になったり小説家になったり社会学者になったりっていうのは*2それなりの参入障壁がありました。それは例えば学歴、例えば人脈、例えば住んでいる場所です。ところが、主にインターネットの発達によって、この参入障壁はどんどん低くなっていっています。これは正しいと思います。インターネットの世界においては講談社だろうがフジテレビだろうがGLOCOMだろうが一個人だろうが全く等価とまでもいかないとは私は思います*3が、それでも、大手企業の社員が鼻くそほじりながら適当に書いたモノよりもそれが大好きな人が思いいれたっぷりに作ったモノの方が支持され、信用されるという社会はもうすぐそこに来ている、というより、もうその時代は一部では来ていると思います*4。
これは素晴らしい。
ただ、全ての文化系ニートにとって福音のようではありますが、実は結構シビアな話な気がします。
前に文化系ニートについて書いたエントリ*5にも書いたんですが、つまりこれだと自分がダメ(ライトノベル作家になれなかったり)というのは全部自分のせいになるんですよね。もう学歴とか住んでる場所を言い訳できなくなります。一億総メディアといいつつもそれほど斬新な切り口を提供できるわけではなくて、大体の人はエロゲー評論とか俺ロッキンオンジャパンがやりたいわけですから。そして、「大企業と個人が全く等価に置かれる」ということはすなわち、自分達ももう一生「言い訳の出来ない競争」に放り込まれるという事です。これはキツい。amazonの書評とか、ネットの感想とかで割りと無邪気に絶賛されているんですけど、このシビアさというのにも少し思いをめぐらせてみた方がいいと思いました。
僕らは何にでもなれる、どこへでも行ける、どんなものも創れるし、誰に対しても伝えられる。
じゃあ何になる。どこへ行く。何を、誰に対して作る。
この自由が与えられた事はとても素晴らしい事なんですが、次の瞬間には私達には「で何を作るの?」「それ面白いの?」という問いが突きつけられています。その問いにどう答えるか、それにはもう手を動かしてみるしかないのかもしません。そして意思。でも、それでもぼくたちは、ビョーキのオトコノコ、オンナノコたちは、その突きつけられた問いに答えるしかない。そしてぼくたちは国家も企業も飛び越えていく。そのシビアさ、自由と緊張感こそが「うぇぶにーてんぜろ」が僕達にもたらしたものではないのでしょうか。