古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

痴豚はボンクラとか非モテとかそこら辺の夢をみるか

先週の事ですが、10年間続いた「伊集院光日曜日の秘密基地」が終了との事。
うちの家はラジオの受信状況が悪く、最近はほとんど聞けていませんでしたが、最終回はリアルタイムに視聴しました。終了といって過度にセンチメンタルにならず、淡々と、いつもどおりクオリティの高い番組を放送する力量には本当に感服します。そして、打ち切りではなく円満終了という事でほっとした次第です。

私は今でも伊集院光の事は凄い好きなんです。
今のはてな村の真の非モテの皆さんからすると、伊集院光は唾棄すべき敵ということらしいですね。サブカルだ、偽物だ、なんだ、かんだと結構槍玉に上がります。
・童貞が云々とか言ってるけどモテてるじゃん!
・童貞の事をネタにして金もうけしてる
この辺が嫌われる理由だと思いますが、それはそれで正しいと思います。
ただ、私が伊集院光が好きなのは、ぐだぐだなまま生きるということを体現している事です。
「のはなし」という伊集院光のエッセイがあり、それが凄い好きなんですが、伊集院光のなんとなくぐだぐだ生きる感覚がよくあらわされていて大好きです。

のはなし

のはなし


ページを開いた最初のお題が「ピンポが痒い」という話なのも圧巻ですが、エロ本の隠し場所の話や牛乳瓶の蓋の話は特に大好きな話です。そういう事は人生一般では総じてくだらないものです。だけどそういうものに価値を見出すというのは結構暇つぶしとしては重要なのではないでしょうか。特に、やりたい事はないし、金も女もないような人間、「頑張ろうぜ!」的な世間一般のメンタリティからどう考えても距離があるような人間にとっては。ぐだぐだぐだぐだしながら、くだらないことやってばか騒ぎして、自分の事を「くだらねぇなぁ」と言える、それを何十年も以上続けている事は本当にすごい。私にとっては少なくともプレカリなんとかがどうしたとかいってるよりずっと大切な事なように思えます。
そして、伊集院光はどこかで自分の事を客観的にみているように思います。
深夜の馬鹿力」で顕著ですが、伊集院光はブス山*1さんや体育会系の人など所謂「がんばろうぜ!」的な人を馬鹿にします。それは多分体制側とイコールだと思うんですが、それだけではないと思います。中二病という用語の命名者は伊集院光ですが、中二病って中二ぐらい幼稚な考えの人をネタにして嗤っていますが、この嗤われる対象って「昔(もしくは今)の自分」ですから。本来の意味では。
つまり、ブス山さんとかはまぁ馬鹿にするわけですが、一方で自分も含めたリスナー側も「中二病」って言って自虐的にネタにしている。そして、そういうことをある程度仕方がないことだと考えています。このどうしょうもなさ(ひねくれている、ともいいます)。
自分が世間の主流派の価値観(「がんばろうぜ」的なもの)からは距離がある、そういう意味で自分は負けだろうとは感じていると思うのですが、かといって他の人間にルサンチマンをため込んだり自分が真の価値を知っていると開き直るような事をある程度仕方ないと思いつつもそれが結構気持ち悪いとも思っている。そして淡々と自分のやりたい事をやり続ける。
そのバランス感覚こそはもう少し注目されても良いのではないのでしょうか。


参考:http://www.heartlogic.jp/archives/2007/10/post_400.html

*1:クラスの主流派で体制側の意見の女子。顔がブスという意味ではない