古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ゼロ年代のクリエイティブ的な

文化系トークラジオlife」の今度の放送のテーマがライムスター・宇多丸氏を迎えて「表現する人・したい人〜一億総クリエイター時代?」つうことで、クリエイターというか、ゼロ年代のクリエイティブ?みたいな話らしいです。
http://www.tbsradio.jp/life/cat189/
予告編のポッドキャストを見ていると、スタッフ一同水木マンガの登場キャラなみに鼻息を荒くしている(一部死にそうな方もいらっしゃるようですが)のでこれは大期待できそうだと思っている次第です。


それはそうと、クリエイター(ないしクリエイティブ)という言葉にある種の胡散臭さを感じているのは私だけでしょうか。
私は、まぁこんな感じでだらだらだらだらだらだらだら人生を過ごしているわけですが、糞ブログももうすぐ1,000日に達しようとしています(このエントリが993日目)。クソタイもおかげさまで300部完売できそうです。だからといって、私は自分がクリエイターだとか何かクリエイティブな事をしているとは全く思いません。むしろ、クリエイターとかその手の言葉はどちらかというと嫌いな部類の言葉です。そのくせある新進気鋭の評論家大先生に至っては、「お前と違って俺らは真のクリエイターなんだよ」とかおっしゃられて、まぁその通りだなぁと思った次第です。つうか真のクリエイティブってなに?私はクリエイターという言葉は作ったものの後につけられるべき称号であって最初から自称するべきものではないと思っています。


私はなんだか、「自分探し」とかに通じる胡散臭さを感じます。クリエイティブっていうのも一種の自己啓発なような気がしてきます。ある種の自意識、まぁガチンコファイトクラブであったりとかASAYAN的なもの(「ゼロアカ道場」はこの中に含めてしまってもいいのだろうか)に応募してしまうメンタリティを満たすのに「クリエイター」という言葉ほど簡単な言葉はないわけでしょう。
「一億総表現社会」とはもっちーのお言葉ですが、多分それは壮大なる釣りだと思います。ツールは今までも、そしてこれからも整備され続けられます。もっちーはそこでいろんな人たちがブログとかで表現すればそれでハッピーになれると考えているわけですが、そんな上手くはいかないと思います。Webで散見されるように、そういったガチンコ的自意識は常に動員されるわけですが、そこに参入する人は常に限られていて、さらにそこから成功する(成功の定義もいろいろだけど)人はさらに限られてその確率はかなり低いと思います。一方でそういった自意識のおかげでamazonなりはてななりといったシステム構築側はPVなりレビューといった形で利益を得続けるわけです。こうしてみると、残念ながら生活全て捨ててでもやるにしてはリスクが高すぎる賭けではないかと。


とは言いつつも、私はたぶんネットなりブログがなければ今の自分(っていうのも嫌だけど)はなかったとは思ってます。いろいろ面白い人に出会えたのも全てネットのおかげ。だから本音のところでは楽しいからやればいいよとは言いたいところではあります。その、名誉とか自意識とか以前になんかやりたいという人はいるとは思いますし、自分自身がそちら側の人間であるという事にしておきたいとは思いますが、そういう人に関して言えば、事ネットに関して言うと兼業でもできるというのは結構いい話ではあると思います。んでそういう人にとってクリエイターっていう称号とか別にいらないんじゃないのとは思います。


つまり、私は何が言いたいかというと、クリエイターだーーーって言って、みんながハッピーになれるわけではなくて、うまく立ち回ってハッピーになる人と、失敗してしまう大多数の人がでるという基本構造はこれまでも、そしてこれからも全く変わらないという事です。それでもなおなんかやりたいとか書きたいとかっていう人はこれはもう性分だからしょうがないんじゃないかと思います。んで、これって別にWeb0.5だろうが2.0だろうが大して変わらないよね。