古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

藤田直哉にすらなれない僕らは!

オールニートニッポンの収録中の発言とも少し関連した内容です。
ゼロアカ道場藤田直哉つう人がいて、その人は、まぁ馬鹿なわけです。馬鹿っていうか暴れ鹿。
この人がどれぐらい馬鹿なのかという事についてはこちらの動画参照。

で、2ちゃんなどでは馬鹿馬鹿言われているわけですけど、それでもゼロアカ道場文学フリマでの盛り上がりは藤田直哉のおかげであるというのは紛れもない事実であって、その「馬鹿の藤田直哉ですらできたことができない俺」とのギャップは広がっていきます。


梅田のもっちーは何年か前に「ウェブ進化論」という本を書いて、その中で「Web2.0によって総表現社会が現れる」と壮大なアジテーションを行いました。確かに、「何かするためのハードル」は下がり続けます。ところが、そうやって「表現」されたものの全ての質が高いわけではありません。むしろ「総表現社会」によって表現されたものの多くは大したものではありませんでした。「プロ」が発表したものも含めて。つまり、「総表現社会」ともっちーが呼んだものによって素人のどうしょうもない宴会芸レベルの話が「商品」として流通してしまう事*1、そして「プロのライター」が書いた文章であっても事実誤認やら認識違いやらいっぱいある*2という事にみんなが気がついてしまいました。
つまり、「総表現社会」によって「表現」の価値が暴落しました。当たり前の話で、アーティストが尊敬されるのは、彼らの生産物に希少価値があるからです。誰もができることの価値は低い。当たり前の事です。
「誰もができて」「かんたんな」「表現」。
「あんなやつでもちやほやされるんだから」俺もやってみようと多くの人がやろうとして失敗します。その時にその人は言い訳がききません。
昔だったら、「パンドラにコネでデビューさせてくれる知り合いがいない*3」とか、「地方だから」とか「htmlが勉強できない」とか色々と言い訳がありました。そういった壁がどんどん取り払われた末に、確かに誰もが平等に勝負ができる土壌が整いつつあると思います。だけど、そうなった末に「お前には才能がない」とダイレクトに言われる事はそれなりにキツい事です。考えてみればRPGツクールを買って、「プロデューサー俺の超大作RPG」の構想を練ることはそれなりに楽しかったはずです。もちろん、結果できるのが最初の街だけであっても。そこで色々言い訳してうやむやにするのもそれはそれでいい有意義なプレイであったはずです。誰でもできるようになって、「それすらできない俺」との格差をまざまざと見せつけられるよりは。だから、少なくとも私はそういう人を非難する事はできません。
ただ、一行も何も書いていないのに俺が如何にゼロアカ道場優勝者に相応しいかを滔々と語る人というのも世の中には存在します。逆にそういうタイプの人の相手をどこまでできればいいんだろうかとも思います。

*1:アンソニーロビンズセミナーの受講生、はあちゅうの一連の活動などを参考にしてください

*2:例は危険すぎてあげられません

*3:http://anond.hatelabo.jp/20081027160514