古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ポケットには1ダースの苦笑い

私の送別会にて、送別の品としてRPGツクールを渡され「これでワナビー道に邁進してください!」と言われた時には、殴り倒してやろうかと思ったわけだけども、そんなワナビーの専門家から一言。


単純な話、「個性という名の自己肯定が多すぎる」という話と「難易度が高すぎる職業で誰もが認められようとする」とは全く別だと思う。


前者は街にたまにいる全身ピンクでフリフリの服を着た人(男性)のことだし、後者はRPGツクールでFFやドラクエをつくろうとする人の事だ。


だけど、前者についてはっきりいって多少の個性であれば仕事さえできればどうでもいいということにならないだろうか。最大公約数的に「容認されない個性」の基準は普通私たちが考えているよりもずっと高いところにあると思う。それこそ、集団での仕事に著しく支障をきたすレベル、それこそ街中をピンクのフリフリの服を着て練り歩くレベルでないと多くの人にとっての「容認されない個性」にはあたらないではないか。つまり、何が言いたいのかというと、ちょっとアニメを見たりマニアックな音楽を聴く程度の個性というのは行くところに行けば肯定される個性でもあり、単純に本人の自己PRの問題でしかないのではないか。


ただ、恥ずかしい話だが、私は会う人に結構な確率で挙動不審だと言われる。さらに前職ではそれを理由に障害者みたいな扱いをされていて、その時の修飾語は「個性的」だった。それでも仕事自体は別に問題なくこなしていた。つまり、これが難しいのが、「個性的」という他人からの評価が往々にして「こいつの事が気に入らない」という意味であることだ。だからこそ、我々は「個性的」の基準をずっと低いところに錯覚してしまう。


一方で、RPGツクール問題は根深い。それがなければ「最初の一歩」は踏み出せなかったからだ。
要するに、トニー・ウィルソンだってマシュー・ベラミーだって、ゼロアカ道場だって誰だって最初はイタかったはずだ。むしろ、何かをすることは必ずイタさを伴う。要するに、RPGツクール的なワナビーの「イタさ」というのは大部分が「失敗したイタさ」なのだ。成功すればそれは「イタくなくなる」。失敗した、もしくは何も行動しないからこそ、それは「イタく」なる。だから「ゲームクリエイターや批評家を目指すイタさ」は間違いなく存在するんだけど、それがなければ始まらないということも言える。さぁ、どうしよう?

関連:http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090226/p1