古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

無限拡散する童貞

北方謙三先生の楊令伝(というか前作の水滸伝)を読んでいて「?」となることがあったのですが、主人公の楊令という人がいて、この人は梁山泊の首領になるばかりか、戦術・戦略のレベルでも最高レベルの指揮官であるばかりか、単騎で戦っても最強という、まさに北方水滸の世界の中でも最強ランクの人間なんですが、なぜかこの人が脱童貞したのは商売女相手だという。
そもそも、北方水滸の世界には女性キャラがとても少ないのですが、主要登場キャラの結構な数が商売女相手を買って童貞喪失したりしている。
もっとも、これはレイプレイの前に楊令伝を発禁しろ、という話ではなくて(そうなったら怒る!)。
これを読んでいて、あー北方先生の脳内には、素人童貞という発想が全くないんだな、という事を再確認しました。
つまり、童貞喪失において素人も玄人も関係ないという考え。
こう考えると、「ソープに行け」という名言はネタとしての扱いをされる事が多いのですが、北方先生にとっては極めて合理的な選択なのではないでしょうか。モテることを拗らせるぐらいならとっととソープに行って捨てて来いという。ヤッたかヤラないか、極めて単純な区分でした。


でも、今の時代そうもいかないわけで。
童貞観の変遷というのはおおざっぱにまとめると以下のようになります。


・「ソープに行け」時代・・・ヤッたかヤラないかだけが評価の基準になる。モテないなら風俗に行けばいいという考え:北方先生など

・「素人/玄人童貞」時代・・・恋愛を経て彼女ができた結果でないと童貞喪失としてカウントしない:ほとんどの童貞モノの映画・マンガにおける世界観

・「セカンド童貞」時代・・・素人童貞を卒業しても童貞臭い人間は童貞臭いという考え:「モテキ」、「D.T.」など←いまここ
※「非モテ」というのはたぶん「素人/玄人童貞」と「セカンド童貞」の中間ぐらいの考えだと思う。


「モテキ」などにおける「セカンド童貞問題=童貞喪失したけど童貞臭い人」の存在の悩みというのは、北方先生に言わせれば「何を悩んでるの?」という感じなんだろうと思います。
すでに、理屈の上では「男性」はいつまでたっても童貞でいつづける事が可能です。「セカンド童貞」というのは彼女とセックスしても童貞臭い人は童貞なんだから。つまり、セカンド童貞の世界では、自分から言い出さない限りずっと童貞で居続けられます。
これは正常な人たちを見つけてあえて病名を新しくつけるような部分があります。
「素人童貞」にしても「セカンド童貞」にしても、行為自体は行っているんだから。
ただ、簡単にはいかないのは、「セカンド童貞」という単語はセカンド童貞(と総称される事になる人達)自身によって望まれて作られたのではないかと思える事です。他所からきた高名な先生(白河先生など)によって発見された結果名づけられたわけではありません。というか、私自身、「セカンド童貞」あったほうがいいもん。あった方がどう考えたって楽。
北方先生的な「童貞」を喪失したところで、「あちら側(ガハハオヤジ的、と総称される)」の考え方にはどう考えても馴染めないわけで、そういう意味で「セカンド童貞」というトライブは必然性があって作られたものだと思います。
一方で、これ以上「童貞」が拡散するとしたらそれは女性なんではないか、と思います。
「あちら側(cancam的?)」の考え方に馴染めない/めんどくさいという人は結構いるような気がして、そういう人たちが自主的に名乗りだすんでないだろうか。すでに喪女とかいるわけだし。

楊令伝 10 坡陀の章

楊令伝 10 坡陀の章