古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

優越感ゲームと成熟ゲーム

サブカルチャーの世界において、しばしば行われるのが優越感ゲームだ。


「他人よりも優れたアーティストを知っている」
「他人が知らないこんなマニアックなアーティストを知ってる」


アーティストの優劣や知識量で競われるゲーム。それが優越感ゲームだ。
優越感ゲームは自らのアーカイブの量・質によって競われるものなので、必然的にその勝敗は、趣味に対しての時間・金の投下量に比例したものになる。
かくして我々は、まだ知らない欧米の音響派や、中南米の文学、イスラム圏のアニメ、未開のジャパニーズインディシーンへの足を踏み入れる事になる。
・・・はずだった。はずだったんだよ!


ところが、優越感ゲームによって他者との差別化を図るというサブカルのシステム自体がすでに「終わり」つつあるのではないだろうか。
そう考える理由はいくつかある。まずはジャンルがあまりにも細分化されすぎている一方で「誰でもアクセスできるアーカイブ」としてネットが普及してきたこと。単純に言えば、Wikipediaやまとめサイトを見て「知ったかぶり」をできるようになったことだ。
もう一つは「アーティストの優劣」を簡単には決められなくなった事だ。
音楽業界の例で言うと、一昔前まで、洋楽のアーティストというのは無条件に優れた存在で、それを聴いているだけで他者との差異化ツールとして機能していた。しかし、90年代から2000年代において起こったことは、「邦楽だけ聴いていれば十分」という層を大量に生みだした事だ。これはJ-POPの隆盛という意味だけではなく、「ロキノン系*1」の成立という意味も含む。要するに、「RADWINPSだけ聴いてれば十分、The Flaming LipsもCUREもMy Bloody Valentineも必要ない、っていうか誰それ?」という人が生まれた、ということだ。
同じ「ロックファン」でも彼らに洋楽によって優越感ゲームを仕掛けることは難しい。


では、優越感ゲームが流行らなくなったとして、代わりに何をもって他者との差異化を行っているのだろうか。
単刀直入に言うと、そこで行われているのは「成熟ゲーム」なのではないだろうか。
「成熟」というのは人間としての成熟、という意味。
つまり、同じ趣味でも、優れたアーカイブを持っているかどうかではなく、恋人の有無、社会的地位の高低、収入の多い少ないによって優劣が決まる。そこには趣味に投入した時間や金の量は関係ない。
ネットにおいて「彼女もいないくせに」だとか「○○を読んでいるような奴は恋人もいない」
というような「未熟である」事をことさら非難する罵倒語が成り立つのは、それが「成熟ゲーム」の文脈に従った優越感の表明だからだ。


「成熟ゲーム」のフィールドにおいては、「何を言ったか」「何をやったか」ということは大した問題ではなく、極論すると「ルックスが優れているかどうか」「コミュニケーション能力が高いかどうか」ということが最大の関心事となる。これは予言めいているが、そのうち多分、「イケメン*2批評家」とか「イケメンライター」「イケメンブロガー」が登場するのではないだろうか。
だが、ちょっとまってほしい。
「成熟ゲーム」というのは要するにヤンキーの論理そのものじゃないか?もっと言うと世間の論理そのもの。
そういうものが嫌いな人間のためにサブカルチャーって存在していたんじゃなかったのか?

*1:雑誌・ロッキングオン・ジャパンに登場するようなアーティストという意味

*2:ここでいう「イケメン」とは、ルックスが優れているという意味にとどまらず、「イケメン」という言葉に付加されるプラスのイメージをまとった人間という意味にとらえていただきたい。極論するとイケメンに無能な人間はいないということになっているのだ