古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「サブカル」の至った地平

20代最後の日、高速道路をいく車の中で聞いた「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」内で『トイレット』の事を宇多丸氏が言っていた。正確にいうと、『トイレット』『かもめ食堂』等一連の作品の監督・荻上直子評なのだが、なんだかもやもやしたものが残った。

宇多丸氏の評価というのは大体以下の通りだった。

荻上作品は飲食店みたいなもので、無菌漂泊された、小奇麗な飲食店。その中で無条件にお互いを受け入れ合う関係性があって、そこにある空気感だけがこの空間のウリで実は食事の味なんてだれも気にしていない。しかもその空気感は無根拠にあらかじめ共有されている。他者は来ないか、二度と来ないでって感じで排除されている。だけど何故か意外と流行ってる。


気になったので『かもめ食堂』もみてみた。で、俺の表面上理解としての『かもめ食堂』とは「サブカル」だ。
妄想上のサブカル。


「サブカル」は「サブカルチャー」ではない。


「サブカルチャー」とは(いちおう建前としては)メインカルチャーに対抗する文化であったはずだ。だが、「サブカル」はそんな堅苦しい事は言わない。「サブカル」とは空気感だ。そして「サブカル」はそこらじゅうにある。例えばフジロックで、ビレッジバンガードで、リトルプレス(ジン)で、カフェで。気がつけば、俺の周りそこら中がエコでロハスで雑貨でサブカルなのだ。10代から20代の俺は、間違いなくそれに「ケッ!」となっていた。
それは俺の中の伊集院(ゴースト)が、「これは偽物だ、騙されるな」と囁いていたからだ。


でも、ゴーストがなんと囁こうが「サブカル」は確実に売れる。


2010年代の思想がなんだとか、非モテがどうしたとか、インターネットの最先端がどうとか。そんなことは「サブカル」の前には瑣末なことでしかない。そんなの「売れない」のだ。だから女の子にそんなこと言ってもしょうがないし、同性が集まるボンクラサブカル座談会においてもそんなことは言えなくなった。一方で、気がつけば私のゴーストも「商業童貞」と罵られ、あんなに好きだった深夜の馬鹿力も聴かなくなり、みうらじゅんはbirdと不倫結婚した。


かくして俺のゴーストは消えた。


サブカル側では違和感が残り、ボンクラ側では肩身が狭い。そんな俺はどこにいればよいのだろうか。そんな俺は、俺のための同人誌を作り始めた。


俺が読みたいもの。
俺が話を聴きたい人。
俺が書いてほしい人。


そういうものを集めてみたら意外と売れた。けれど、今度は「お遊戯的な事は外でやってくれない?」とDMCの根岸みたいな事を言われた。
でも俺はクラウザーさんにはなれない。
俺はどうしたらいいんだろうか。そんな事を5年ぐらい考えている。