古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ソーシャルネットワーク

ソーシャルネットワーク』を見てきた。
それこそFaceBook上の友人からは微妙な評価もあったのでどうだろう・・・と思っていたが、とにかく素晴らしい作品だった。
「素晴らしい映画」というか「素晴らしい中二病映画」だった。
もちろん、セリフ回しや音楽、そしてあのラストシーンなど素晴らしいところは山ほどある。だが、技術的なところはどうでもいい(というか私はそこを語るまで映画に詳しくない)。何よりもこの映画は「魂があってる」のだ。「24 Hour Party People」にも通じる「魂の正当性」。マーク・ザッカ―バーグに仮託された「「世界」に復讐する」意思。
それがこの作品の魂。その魂に従って、現実はデフォルメされ、ザッカーバーグは極めて非コミュで「Creep=ヤなやつ」として描写される。

これこそは「俺ら」の魂の叫びだ。
「俺ら」の事を理解しない女や、グルーピー女はカス、ボート部の双子はゴミだ。何が本当に重要か、その本質を理解しない奴らはアホだ。俺の元会社の同期に「24 Hour Party People」はおしゃれだけど、映画としてはクソとか言った奴がいたが、そういうお前こそクソだ。こいつらが「うまくやってる」世界なんか滅べばいい。滅ばないなら現実を変えるまでだ。
そう、「自らのコードによって「世界」を作りかえる意思」は「「世界」に復讐する意思」に寄り添う。だからこそデビット・フィンチャーはこの題材を選んだのだろう。もちろん、「俺ら」のこうしたルサンチマンは被害妄想であり、ドンキホーテである。
実際我々の世界には数々の見えない壁が存在する。それは映画で描写された友愛会であったり、家柄であったり、生まれもったルックスや運動神経。現実の「俺ら」は常にこの壁に阻まれ「「世界」に復讐する」事は永遠にできない。上から下まで、お高いヒヒョー家のお歴々から2ちゃんねるの住民達まで「うまくやってる」奴らがもてはやされるのが「俺ら」が生きる現実だ。だけど、だからこそ、「俺ら」はこの映画に感情移入できる。
ソーシャルネットワーク』は「中二病映画」としては100億点だ。だがこれを「普通の映画」としてみるとどうなるのか、俺には見当もつかない。だがこれは「俺ら」からの宣戦布告だ。けして実現されない妄想上の宣戦布告。世界よ滅べ。