日本のリベラル
白河桃子『震災婚』を読んだ時に思った事を少し書く。
- 作者: 白河桃子
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2011/10/16
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
以前、白河桃子はブス山さんだと書いたが、そこまで書いて書いたのは日本におけるリベラル的な言説を支えている人々のかなり大きな部分が、白河桃子のような「ブス山さん崩れ」なのではないだろうか。
そもそも日本における「リベラル」の指し示す範囲は極めて広範囲で、一概には定義できない*1が、今私が言っているのは「庶民感覚」に極めて近いような意味での「リベラル」だ。簡単にいうとここで問題にしている「リベラル」とはインテリ層が言う「庶民感覚」のようなものだと言っていい。もっと簡単にいうと『報道ステーション』や『サンデーモーニング』の言っている内容だと考えてもらえればいい。そう考えると白河桃子が著書中で社会学者やNPOが言う事を世界の真理であるかのように崇めたてまつり、その発言を引用する理由がよくわかる。当然ながら『AERA』的な女性観は「リベラル」と非常に相性がいいからだ。
実際、ある時期まで「リベラル」を批判する事はタブーだった。だが、こうした「リベラル」は現在やや旗向きが悪い。様々なところで「リベラル」を標榜しているわりに既得権まみれだと批判されているからだ*2。それなりに目端の聞く人は「リベラル」と巧妙に距離を取りつつあるような気がする。その時に新しく現れる神がもし「ブス山さんの神」こと白河桃子だったらその時は笑うしかないだろう。