「婚活ブーム」が終わるかどうかを決めるのは、市場であってイデオロギーではない
アゴラで「長岡 享」という人が婚活批判記事を書いていたのだが、あまりにも謎すぎるのでご紹介したい。
「婚活」ブームの危険な正体 --- 長岡 享 : アゴラ - ライブドアブログ
ところで賢明なる読者諸君は、
日々の生活で、井之頭五郎ばりに腹が減ることもあるだろう。そこで、たまたま近くにあったコンビニでカップめんを買って食べたとする。すると、近くにいた老人が
「カップめんは体に悪い。だからカップめんは悪だし、カップめんを売っているコンビニも悪だ」
と言い出したら、どう思うだろうか。まぁ、ふつー無視するだろうが、長岡 享という人が言っているのは、要はそういうことである。
腹が減る⇒コンビニに行く⇒カップめんを買う⇒カップめんは体に悪い(かもしれない)⇒カップめんを売っているコンビニは悪だ
同様に、
結婚できない⇒婚活する⇒結婚相手を探す⇒参加者は金目当ての悪人(かもしれない)⇒悪人が参加している婚活は悪だ
という理論。これが長岡氏の理屈である。
婚活という現象自体はコンビニという業態と同じく、いいとも悪いとも言えない。そもそも、長岡氏のいう「慣習」であるお見合いも婚活の一部ですから*1!
必要だから使うし、必要ないなら使わないだけ。婚活が必要ないと多くの人が判断すれば婚活業者はいなくなるはずで、
「婚活ブーム」が終わるかどうかを決めるのは、市場であってイデオロギーではない。
参加者が金狙いだから悪いとかそういうレベルの問題ではない。さっきのコンビニの例えでいえば、コンビニに行くかどうか決めるのは私だし、コンビニで何を買うのかを決めるのは私である。要は、「なにしようが俺の勝手」なわけで、他人が口を出す筋合いのものではない*2。
嫌なら使わなければいいし、婚活がそんなに気にいらないのなら婚活しなくても済むようになるにはどうしたらいいのか提言してほしいものだ。本当にコンビニが悪だと思うのなら、カップめんを取り上げる前に腹が減らなくなる方法を教えてほしい。
もっとも、普通の人であれば、そんなことは無理なのはわかり切っているから、そんな恥ずかしい事は言わないわけだ。
それはそうと
男性を経済的指標に還元して商品化する「婚活」ブームは、そのいびつさから早晩ブームを終える。
と婚活している女はみんな金狙いだと書いてると思ったら、
大多数の婚活女性もまたマスコミがフレームアップする打算的な腐女子などではなく伝統的な価値観につらなる日本女性のDNAを受け継いでいるものと私は信じている。
なんて感じで、婚活女子は悪くなくて腐女子が打算的っていうあさっての方向への批判が繰り広げられて謎すぎるんだが。
大部分がまともなんだったら、別にいいじゃん!と思うのは私だけなんだろうか。
要は婚活っていうフレームを作ったのが左がかった人だから嫌っていう話なんだろうか。