古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「庶民感覚」とは、結局「『ずる』を許さない」という事でしかない

政治の世界のみならず会社などでもやたらと「庶民感覚」とか「現場感覚」とか言ってくる人がいて、そういう人は現場とか庶民の味方だ、みたいな風潮があるけどそんなことないんじゃないかていう話。

==============サマリー==============

1:90年代のみぎわさん

2:庶民感覚とは「ずる」を許さないという事

3:昔は成立していた「庶民感覚」

4:現代の庶民感覚

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1:90年代のみぎわさん

もう30年ぐらい前の話で恐縮だが、私が通っていた中学校で生徒会選挙が開催されることになった。その時に同じクラスの女子が立候補したのだが、残念ながら彼女は「ちびまる子ちゃん」における「みぎわさん」的なポジションにいたため、クラスのスクールカースト上位の人間からは嫌われていた。

そんな時にクラスの担任教師は突如「クラスで生徒会役員に立候補した人間がいた場合、クラスメイトは全員立候補した人間に投票しなければならない」という理屈を言い出したのだ。時はまさに中二病スクールカースト上位組も負けじと「民主主義だから誰に投票してもいいんだ」という原理原則論を持ち出して反撃してくる。そこで担任が何を言い出したのというと「原理的には許せても感覚としては許せない」という、アントニオ猪木ならずも、まてまてまてと言い出したくなるような超理論であった。

いやいや軍靴の音が聞こえて、関口宏が風読んじゃうでしょそれっていう、民主主義を破壊する超理論で市民社会破壊しとるやんっていう話なんだが、これって要するに「同じクラスの人間を応援しなければならない」という「庶民感覚」で、それを「民主主義のルールという屁理屈」を使って無視するのは「ずる」で、「『庶民感覚を守ること』の方が『市民社会のルールを守る』事よりも上位に置かれている」だと考えると非常に納得できる。

2:庶民感覚とは「ずる」を許さないという事

そう、「ずる」なのだ。ここでいう「ずる」というのは、

「明確なルール(=法律や会社の規定)には違反しないが、内輪のルール上はNG」

というものだ。例えばなのだが、あなたの勤めている会社では「女性は育休とってもいいけど男性はNG」とか「女性の育休取るのは順番」みたいななんとなくのルールってないだろうか。これは労働基準法第65条で決まっているわけでも会社の規定できまっているわけでもないが、これを守らないのは「ずる」であり「『ずる』は許さない」というのが庶民感覚という事になる。そして、この「ずる」は芸能人の不倫スキャンダルから政治家の問題、フジロック参加から会社の育休取得まで、ありとあらゆる場所にあり、それを許さないのが「庶民感覚」だと考えると、なんでtwitterやyahooニュースのコメント欄にこんなに怒ってる人がいっぱいいるのかがわかる。さっきのみぎわさんの話ではないが、私たちは「庶民感覚」で物事を判断する(そしてそれが法律などのいわゆる明確なルールよりも優先されること)について慣れ親しみまくっており、何の疑問も持たずに「ずる」を見つけて批判しているのだ。

3:昔は成立していた「庶民感覚」

さきほど述べた通り、「庶民感覚」には「ずる」かどうかを判定するための「内輪のルール」を決める人が必要になる。これが例えば会社であれば会社のお局や声大きい系社員や、ワイドショーの司会者(なんてったって「アッコにおまかせ」だ)、ニュース番組のMCだったわけで、彼らの言う「庶民感覚」は、少なくとも昔は「庶民感覚」の最大公約数として世の中に流通していた。

これは効率的な仕組みで、私たちは政治家の不祥事(法律違反ではなく不祥事)から芸能人の不倫、フジロック参加の是非まであらゆる「ずる」を見つけて低コストで判断できる。なぜって例えば芸能界のことなら「アッコに、おまかせ」しておけば自動的に善悪を判断してくれるからだ。もう一つが新聞・テレビといった「ずる」を見つけてきてくれる人たちの存在だ。新聞やテレビといった容量・時間が限られたものに「編集」されてその中に納まる範囲で「ずる」が表示されたからこそ私たちは適切に「庶民感覚」を発揮することができたのだ。

ただ、今やこの「庶民感覚」の最大公約数がなくなってしまったことで複数の「庶民感覚」が対立しまくっている。例えば育休で言えば「男性でも女性でも何が何でも絶対取得!取らせない人間は犯罪者」という人と「女性はいいけど男性は絶対取らせない」、「私の若いころは育休なんてなくてね…」という複数の「庶民感覚」があり、それらが対立している一方で、様々なネットメディアがほぼ無限の容量で記事を書き続けるため収拾がつかなくなってしまっているのだ(「感覚」だから、納得することはほぼない)。

4:現代の庶民感覚

そんな現代で「庶民感覚」「現場感覚」のようなものを全面に押し出してきた政治家や上司があらわれたら、そいつは非常に危うい。だって、その人たちは「自分に『アッコにお任せ』しろ」ってことを言っているだけなんだから。そして、複数の「庶民感覚」が対立しまくっている現代ではその庶民感覚上司のいう事を聞く人はほとんどいないだろう。

恐らく我々にできる最善のことは、SNSをそっと閉じ、明確なルール(=法律や会社の規定)と自己の感覚を限りなく同一化させることだろう。もしかしたらそれはこれからを活きる必須のスキルになるかもしれない。