古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

パーフェクト・ワールド(ゼロ年代の童貞のための覚え書き)

生物学的な意味での童貞と文化的な意味での童貞というのはまた別の存在である。
生物学的な意味での童貞というのは、「パコつきを経験した事がない男性」という意味だ。
それに対して文化的な意味での童貞というのは、「童貞文化(後述)を愛好する人」という意味だ。
つまり、生物学的には童貞でなくなっても文化的な意味で童貞である、ということが起こりうる。その逆も。余談だが、所謂DQN階層、体育会系階層に属する人間も生物学的に童貞な人間はいる。だが、それが文化的な文脈で(本人が)語る事はほぼないことが、この階層における童貞現象の把握を困難にしている。そして、原理的には文化的な意味での童貞に性別の差はない。


では、童貞文化はいつ生まれたのだろうか?
「モテない」ということは太古の昔からあらゆる文化作品のネタとして使われてきた。しかし、私達が今日想像するような童貞文化としてまとめられたのは恐らく1980年代以降ではないか。それはサブカルの一ジャンルとして生まれた。つまりそれはキッチュ文化なり、アンダーグラウンドカルチャーの一つとして生まれたであろう事は想像に難くない。その頃生まれた童貞文化というのは基本「童貞を笑う」ものだった。みうらじゅんや(北村ヂン氏に代表される)ロフトプラスワン等をみてもわかるように、基本的には童貞特有の面白い行動を笑うというヲチ的なものであった。それが実践に移される事があってもそれは基本的には「ネタ」であり「仕込み」である。それが「実際にどうだったのか」ということを問うのは「無粋」であり厳に慎まれるべき事であった。つまりそれは熱湯風呂に入った小島よしおと同じくらい無粋な行為なのだ。だから全童連が「偽者」であるというのは前提の話でしかない。だから本来であれば、(1週遅れのそのセンスはさておき)その前提を元に全童連がどういうネタを繰り出すか、というのが焦点だったはずだったのだが・・・。


90年代の童貞文化というのは一言で言うと「童貞を笑う」ものが「童貞が笑う」ものになった。
つまりインターネットで生まれた初期の「非モテ」や、伊集院のラジオ(伊集院自体は80年代から活動してきたが)、だめ連の活動、ファミ通町内会といったものがそれにあたる。「童貞が笑う」とはなにか。それはつまり「自虐」だ。「自分が如何にダメか」という事をネタにする。そしてそれで笑いを取る。
90年代で最も重要なのはインターネットの登場である。要するにネットの登場によって商売をしなくてもよくなったのだ。つまり童貞ライターも、SPA!もロフトプラスワンも使わずに童貞たちは自分のネタを直接ネットに書きはじめた。これによって、インターネット上には童貞たちの私的(詩的?)な言葉が溢れかえる事になり、80年代にヲチ感覚だったものはこれ以降ネタとベタを限りなく同一視していく事になる。


ここまではいわば、伝統的童貞文化とでもいうべきものに則ったものだ。だがゼロ年代(笑)に入り、童貞文化は全く違う様相を見せ始める。
ゼロ年代の童貞文化とはいわば「童貞が怒る」ものになった。もはや笑ってなどいられない。「俺がモテない、どうしてくれる!」という事だ。童貞が云々という以前に「生活していけるかどうか」すら全くわからなくなった事とはけして無関係ではないだろう。そして、オタクなりサブカルといった同じ文化トライブに属していたとしても「モテ/非モテ」によって人々は限りなく細切れにされていった。90年代の小春日和的な感性は消えうせた。はてな村で急進的な人たちは自分が如何にダメであり、それが社会によって是正されるべきか、を日々論じた。
「怒る童貞たち」に対してある人は「それはお前がセカイ系オタクだからだ」といい、ある人は「妊娠中絶をする女を地球上から根絶しろ!」と言い、ある人は「2次元に行けば幸せになれる」と言い、ある人は「デモをしろ。それでも納得しないお前のいま感じている感情は精神的疾患の一種だ。しずめる方法は俺が知っている。俺に任せろ。」と言った。
「怒る童貞たち」は多分今後も煽られ続けるであろう、自分の自意識に苛まれながら。
それでもなお「自分がどうやって生活していくか」を考え続けなければいけない、それがゼロ年代の童貞だ。


生物的な童貞はもちろん、童貞文化を愛好する人も今後もいなくなる事は恐らくないであろう。その時々の時代の童貞文化が花開く事になるであろう。だが、しかし、自分がダメな事の責任は恐らく誰も取らない、気がついたら自分ひとり、ということもなくはない。だから、ある文化トライブに自分が100%埋没することだけは避ける事しかできないのではないだろうか。