古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

上司には絶対服従、他人の足を引っ張れ、恋愛しろ、居酒屋へ行け、ライトノベル読んでる暇があったら自分でスポーツしろ。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1

ここ一週間、たくさんの日本の若いDQNたちを見た。池袋のホスト、埼玉の大家族、そして昨日のアムウェイディストリビューター。それでつくづく思ったこと。もう前にも一度言ったことだし、当たり前のことだし、言わなくても伝わっているだろうとふと思っても、しつこく言おうと。なぜなら、僕が考えていることと正反対の言葉を、日本の大人たちから皆はシャワーのように浴び続けているし、僕がこうあるべきと思うことと正反対の経験を日々せざるを得ない状況にある、ということがよくわかったから。

二十歳にもなれば、その人のその後の人生で下される評価はもう決まっている。周りの「大人」、つまりリソースを持っている人間に認められるには、深く物事を考えず(つまりバカだということ)、自分が属している「体育会系」の上下関係を大切にし、その関係を会社でも少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる軍隊的なホモソーシャルから、居酒屋での人生教訓を聞き続けていれば、自然に会社の中で「仕事が出来る」という事になる。「社内政治」と「体育会系ホモソーシャル」との接点を探し続けろ。そのことに時間を使え。

ネット空間に対する言説でで特に顕著だが、リソースを持っている人間は従順な人間が大好きだ。昨日もシリコンバレーでビル*1に会ったときにも言ったけど、もっと従順になれよ。心の中で「眠たいこといってるなぁこの部長」と思っても口に出すな。リソースを持ってる人間は誰だって、いくつになったって、かしづかれれば嬉しい。そういう小さなことの積み重ねで、社内はつまらなくもなり楽しくもなる。「目上の人に従順である」というのは「体育会系である」ということと密接に関係する。「体育会系である」というのは、人生を生きていくうえでとても大切なことだ。「体育会系である」人が、日本社会では幅を利かせすぎている。それで知らず知らずのうちに、影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになる。自己評価が低くなる。「ニーチェと「戯言シリーズ」を愛読してきた僕なんか生きてちゃいけないんだ」なんて自己規制している。それがいけない。自己評価が低いのがいちばんいけない。

僕だって君たちを見ていて、悪いところとか、足りないところとか、たくさん見えるよ。でもそんなことを指摘して何になる?

それでもっと悪いのは、口だけ達者で、自分のことは棚に上げて、体育会系ホモソーシャルに守られている人がいることだ。そうすると有能に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら一秒でいいから仕事やれ。

23mmの銃口から飛び出す弾丸は真っ赤な野いちごさ

本当にどうでもいいことなんですが、インターネットの世界では「発言者が何者であるかよりも何を語ったかで判断するべき」という大原則があります。
インターネット、とりわけWeb2.0とりわけはてなダイアリーは天竺であり、神の国でありガンダーラでありユートピアな訳ですから、当然この大原則はもっとも厳格に適用されなければなりません*1。ところが恥ずかしながらはてな村の村民となってしまった私であっても時々この大原則を守れなくなってしまう時があります。


例えば、あくまでも例えの話ですが、
日ごろから他人を罵倒し続ける罵倒芸の持ち主がいきなり正論を持ち出した
りした場合、私はどう振舞えばよいのでしょうか。


正論というのは、例えば差別よくないとかいじめはよくないとか、みんな仲良くとか。そういったにわかには否定しがたい正論を持ち出してきたとき。正論なんて呼ばれているわけですからそれはまぁ正しい。


でもあんたにいわれたくないよ!


と言いたくなってしまいます。それは、それまでの罵倒芸の人の振る舞いを見てきたから。お前のアホとか、バカとか以前書いたそういうのは全部Okなのかい?と思ってしまいます。
インターネットの建前としてはあくまでその時々の意見の可否だけを判断しろという話なのかもしれません。
でも、ネットに長く同じハンドルネームで活動している事による「ネットでの名声」、つまり「梅田望夫の言う事だからこの自己啓発セミナーみたいな内容もまぁ正しいだろう」というものから、「republicがまたあほな事書いてるよ、またどうせ会社で嫌な事があったんだろう」みたいなものまで、良いものも悪いものも含めて引き受けるしかないと思います。
もちろん、こう書いた時点でその限界というのも明らかになっています。つまり、名声をリセットしたければハンドルネームごとリセットすればよい。ようするに「言いたい事」によってハンドルネームを使い分ければよい。そのコストは置いておいて誰もわからない。罵倒芸ブロガーだったあなたと血みどろの争いを演じたあの人と友情が紡げるかもしれません。そのささやかな二重人格ですらも暴く恐ろしい人々もいたりいなかったりするわけですが。


つまり、いくら「発言者が何者であるかよりも何を語ったかで判断するべき」という大原則を語ったとしても、インターネット上で長く活動を続ければ続けるほど過去の発言内容を元にした「ウェブ上での名声」によって「何者であるか」によって判断されるようになる、良しにつけ悪しきにつけ。では、どうしたらよいか?それがわかったら苦労はしなかったり…。
ただ、個人的に最悪だと思うのは、「ウェブ上での名声」を判断する材料、ブクマコメントやコメントなどで自分の都合の悪い内容を改変・削除したりすることです。そういう事をする人には何かやましい事があったのか?と思ってしまいます。他人をバカにする人は自分もいつかバカにされる、自分だけはいつも絶対正義の立場にはいられない。そのことだけは肝に銘じるべきだと思っています。

悪いひとたちがやってきて
みんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱い人たちがいたから
女達は犯され 老人と子供は燃やされた
若者達は奴隷に 歯向かう者たちは 一人残らず皮を剥がされた
悪いひとたちはその土地に家を建てて
子供をうんだ
そして街ができ 鉄道がが走り
悪いひとたちの子孫は 増え続けた
山は削られ 川は死に ビルが立ち並ぶ
求められたものは発明家と娼婦

blankey jet city「悪いひとたち」

国境線上の蟻?THE BEST

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*1:mixiは…別にいいんじゃないの?読み逃げとかしちゃいけないサイトだから