古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ルサンチマン?上等じゃないか。

http://d.hatena.ne.jp/bluede/20050626
より。
私も何度か取り上げたのですが、またモテ・非モテ論争が活発になってきているみたいですね。今日は少しそれについて考えてみたいと思います。今日は悪ふざけなし。
まず、当ブログの基本姿勢から。
まず、私自身はモテないからどうしようっていうのにはあまり興味がなくて、ひたすらに面白を積み上げていくことを望みます。私は一応何を間違ったか童貞を捨ててしまったので、せいぜい言えるのは「気持ちはわかる」ぐらいしかいえないからです。
それは、このしょぼくれたブログにいろいろ書いたり、いろんな方のブログを読んだりしてアホなりに出した結論です。
で、その上で私が考えているのはこんな感じ。この辺は余計なおせっかいだと思ってください。
今回の論争、非モテは修正不可能で、問題はモテ系によるいわれのない迫害だというルサンチマン派と非モテなのは自らの努力が足りないからだという自助努力派が対立しているという構図です。ただ、ここは話が結構ズレているんだよね。要するに、ルサンチマン派がこれほどまでに非モテにこだわるのは、恐らく、社会の最底辺に*1いて、虐待されている事実に怒っているのであり、社会の人々(=ヤリチン)から発せられる罵声の中で一番多く、一番腹立つのがこの「女ぐらい作れ」というものだからだ。だから、ヤリチン・体育会系による社会のカースト制度や、その中のハリジャン*2に組み込まれていることが問題の根本で、その敵の一つが恋愛至上主義なのに、自助努力派はモテないという表面しか問題にしていないから。
要は「必要最低限のカッコ」をするのはかなり簡単だということぐらいわかっている。しかし、それでも「先が知れている」のだ、結局、私たちを取り囲むカースト制度は何も変わらない。
しかし、自助努力派はやたらと女性論*3を使うんだけど、私はアホなのでよくわかりませんでした。とりあえず「非モテ、かっこ悪い」ってことらしい。ふ〜ん。でも、フェミニズムとかそういう問題なのかなぁ、さっきも書いたけど、男女の争いよりも、このカースト制度が問題なんじゃないのか?
一方で、ルサンチマン派はよく、このモテ概念に変わるものとして「電波男」を挙げるんだけど、どうなんでしょうか?電波男って非モテ=オタクっていう前提がないと救いにならないでしょう。でも、この認識は間違っていないか?私みたく、非モテだが非オタクという人もいるだろう。もちろん、非モテでオタク的素養がない人はほとんどいないと思うが。それでも電波男が全ての非モテにとっての救いになるということはないと思う。非モテで非オタク。こういう人にとって電波男によるユートピアはあまりに魅力がない。
で、結局、この問題になると思うので最後にふれておきます。それは童貞による商売は可能か?それは童貞界としてはOKなのか?また、それを突破口に非モテ救済の道を自分達で作ることはできるのか?ということ。
結局、非モテたちによる何らかの救いというかコミュニティを作ろうとした時、インセンティブとして一番有用なのがお金で、そのためには、非モテという市場の確立が急務だと思う。つまり、非モテという市場がしっかりと確立されていれば、もっといろいろな非モテ肯定のインターネットサイトなり、本なり、企画なりが現れ、もう少し生活もましになるのではないのかと思っています。もっとも、それは電通(=KO大ラグビー部。ヤリチンの巣窟だ!)なんかに担われるのではなく、徹頭徹尾非モテによって担われなければならないし、全童連みたいな形がいいのかというわけではないので、大いに議論の余地がありますが。

なんかまとまりなくなってしまった。毒電波スイマセン。
「だってあの家はもう僕の家じゃないから
あれは彼らの家さ
もう誰も僕を暖かく迎え入れてはくれないんだ
そしてもしも2階建てバスが僕らの車に突っ込んできたとしたら
あなたの傍らで死ねるなんて最高に素敵な死に方だな」
The Smiths「There is a light but never gose out」

*1:私たちが作った理論によるとCクラス

*2:=カースト制度の最下層

*3:もちろん、私たちがファミレスで車座になってしている「女の子はやっぱり清楚な子がいいよね〜」とかいうものではない。あ、しまった。おふざけなしのはずだったんだけど。