古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

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「文化系ニート」とは何か

  • 文化系ニートとは何か

イマイチ何の事を言っているのかよくわからない文化系ニート。今日はそこら辺のまとめみたいな事をし対と思います。
「文化系ニート」という言葉の初出は多分ユリイカだと思います。
↓ここで加野瀬さんが使い始めたのが最初なのではないかと。

ユリイカ2006年2月号 特集=ニート 新しい文学はここから始まる

ユリイカ2006年2月号 特集=ニート 新しい文学はここから始まる


そこでも明確に定義されているわけではないので、私の方でオレ竜解釈をします。落合竜の優勝も近い事ですしね。

・文化系趣味(=文学・哲学に始まり音楽やマンガなどサブカルチャーも含む)を持つ
・マスコミや学者といった職業についていない。もしくは学生(=つまり、趣味を全く仕事に生かしていない)
・単なる消費者に留まらず、むしろ自分で表現したい傾向にある(=自意識過剰)
・社会なり恋愛なりへのルサンチマンを溜め込んでいる場合が多い(≒非モテ?)


こんな感じ。では、これが大学の軽音サークルに大量発生している岸田繁なり田中宗一郎であったりとか、代々木アニメーション学院に当然いるであろう「将来の夢=プロダクションオ・レを作ってジャパニメーションでオスカーだぜ」や栃東似の声優志望(女性)、または大学のゼミあたりに必ず一人はいる自称・哲学者、自称・心理学者とどう違うのかというと、おおむね一緒。違うところといえばルサンチマンを過剰に溜め込んでいるところぐらいでしょうか。
そういう人たちには「お前を見出す広井王子*1はねぇ!(「お前に喰わせるタンメンはねぇ!」の調子で)」と一喝すると「しゅん」となるというのが昔から相場が決まっています。
しかし、ここで悪魔が現れます。jkondoです。
はてな村の是非論というのは当然あるべきなんですが、普段から「周りの奴らバカばっかり」だとか「アナーキーになりてぇなぁ」と心から願ってきた我々にとってはてな村の居心地のよさというのはかなり侮れない。
だって、GLAYをカラオケで歌うような人間にスミスの話なんてできるわけないじゃないですか。そういう話ができるという事ではてな村の価値も少しはある。でも、それで多数の文化系ニートが吹き溜まることになるわけです。

まぁはてな村には文化系ニートが吹き溜まってるよ、と。まぁそんなんだから惑星開発委員会あたりにDISられて優越感ゲームの酒の肴にされるんだろうなぁ、僕らは!と思うところではあるのですが、問題というのは別に稲葉振一郎に相談するまでもなく、けっこうなブロガーがかかる病=天狗問題*2なんだと思います。
自称・宮台でも自称・本田透でもなんでもいいんだけど、需要と供給がある限り自称・宮台をやる事が別に問題なんてなくて*3、単純に天狗になって醜態をさらす事が問題で、それはネットリテラシの範疇となるのではないのでしょうか。
いい年こいた大人がギルガメッシュナイト見てる中学生みたくびんびんの天狗になっている姿というのはそれなりに醜く、かつ滑稽だとは思います。ただ、それは結局個人の心の持ちようなので、外野の人間がああしろ、こうしろと言えるものではない。また、自称・宮台の害毒としてはせいぜいネット界隈でキモがられて終わりなんだから害としてはそんなにはない。大体、「天狗」自体が他人から貼られるレッテルなんだから。つまり、ネットにいる自称・宮台というのはキモいけれども大した問題ではない。しかもそういう人ですら(いろんな意味で)需要があるんですから。まぁ彼ら相手に政治をやろうとするなら話は別ですが。

  • Web2.0の夢で飯を食うために僕らは!

そうか、文化系ニートなんて大した問題じゃないんだ。よかったよかった。となればいいんですが、そうもなかなかいかない。


http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20060916/p1

DOS/Vパワーレポート先月号だか先々月号に載っていた後藤弘茂氏の連載コラムから思いついた。リビングルームに家族の人数分テレビがあって、おおよその家庭用ゲーム機が設置されてて、それぞれが楽しんでいるゲームや映画やらを横から覗いて口を挟む家族、これも団欒でしょ?という内容。『ゴジラヘドラ』観ていると親父が「ヘドラの上陸地点は○○なんだ」と教えてくれる家庭、こんな家で育った子供がこれから表舞台に出てくるのかと思うと、非モテや文化系ニートなんぞどうでもよくなる。

結局、第3世代が非モテや文化系ニートを話題にするのは、ヌルオタばかりで常に一般社会との距離感を気に病んでいるからに過ぎないのだな。結局、趣味と社会生活の両立が可能なポイントの模索。もしくは社会生活を忘れる術。


つまり、あえて「我々」と書きますが、我々は今後も一生谷間の世代として文化系ヒエラルキーですらバカにされてすごす羽目になる可能性があるよ、と。確かに、なんのルサンチマンもない陽性の世代が本当にいて、活動を始めたら、文化系ニートなり非モテなんていうのはうんこみたいな存在だとされるでしょう。つまり、非モテ界隈なりで「オタク的(文化系的)趣味を持ったままいかにモテるか」という話題に結構なリソースが割かれているのは、つまりそういうことだと思うんだけど、私達の後ろにいる人たちはそんな発想すらないかもしれないんだから。
でもまぁそんな事言ったって谷間の世代の私達は生きているわけだし、相変わらずフジロック行ったりコミケ行ったりしなきゃいけない。じゃーどうするか。
天狗にならずに村でウダウダしてろ!っていうのも一興だし、そういうのを全部捨てて「素晴らしく」なるというのも一興。アフィリエイトだーぐへへへ〜となるのもいいとは思うんだけど、なんにしてもわいわいきゃっきゃやるところは欲しいなと思います。多分文化系の人間にとってそういう場所を見つける/作ること自体が非常に難しい。
そしてそれが多分、文科系ニートにとって一番困難で問題となる部分だと思います。

*1:渋谷陽一でも可

*2:http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20060816#p2

*3:だって、そういう自称・本田透を馬鹿にして優越感ゲームに浸る私みたいな最低の人間もいるわけですから、惑星〜の人はどう言うか知らんけど、私自身としては自称・タナソウなんかもっともっと増えて欲しい