古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

わたしのまわりのイタさについて

たまにですが、ブログをやっていたりクソタイを作ったり、ネットラジオをやったりすることが酷くイタい事のように思えることがあります。会社の人がブログの話をしてたり(ほとんどが眞鍋かをりのブログがどうとかそんな内容)、外出先ではてな論壇チェックとかしてる時とか、あと私の場合、様々な理由で履歴書を書くことがよくあるのですが「趣味」欄に一瞬、「ブログ更新」とか書こうとして一瞬ためらった末やめたりとか。そんな感じです。


で、確かに物凄いイタい事だと深く自覚しているところではあるのですが、決断主義に敗北した人間として全力で都合よく自分自身のイタさは忘れる方向で行くとして、よくよく考えると、ブログを書いたりだとか、同人誌作ったりだとか、そんな事はほとんどがイタい事ではないのでしょうか。インディーズ(アマチュア)で何かやるっていうことはそれ自体が多分イタい事なのではないのでしょうか。
この世に存在するもののおよそ全ては多かれ少なかれイタい事だと私には思えます。
オタクはイタい、サブカルはイタい、DQNも、右翼も、左翼も、New Orderも、DMCも、寺田克也も、革命も、政治も、シネマライズも、ネットも、はてなも、全てイタい。
全てのものはある角度から見たらイタいし、別の角度から見たらそれは別の様相を見せる。イタいという人の多い少ないがあるだけだと思います。


ただ、インディーズという存在が持つイタさのそれは本質的にそうなのだと思います。多分それは「届かないものなのに届けなければならない」というところからきていると思います。それこそ、トニーウィルソンにしたって、ストーンローゼスにしたって、それがカッコよく、伝説に彩られているのはそれが後に「勝つ」ことができた、つまり売れたから伝説になるのであって、「最初の一歩を踏み出した時」というのは恐らくイタい存在だったのではないのでしょうか。イタいまま終わるか、「勝つ」事ができるか、それは最初の一歩を踏み出す時には多くの場合、わかりません。でも、インディーズが「勝てる」事は多分稀だと思います。
イタくなるリスクをとらなければ恐らく何もできません。
でも、だからといって本質的なイタさがなくなるわけではけしてありません。
ならばイタさを自覚しつつ、自分が選んだ価値観を信じていくしかないのではないかと思います。
自分がイタい事を人はすぐ忘れます。イタさのうちにいてイタさに無自覚になります。


そして、「届かないものなのに届けなければならない」のに勝てなかった時、人はどうなるのか。
その人たちにとって、世の人々は「俺たちを理解しない人間が悪く」事にするしかないのではないのでしょうか。