ガールポップとこの世の終わり
- ガールポップとは何か
よく、ガールポップ云々と言いますが、これを厳密に定義したものはあまりありません。
その言葉の日本での歴史的経緯については以下のリンクを参考にしてほしいのですが、ガールポップを一言で定義すると以下の通りになります。
GiRLPOP - Wikipedia
「自分で作詞作曲する女性ボーカリスト」
つまり、これではほとんど「ごりごりのアイドルではない女性ボーカル全般」ぐらいの緩い意味しかありません。よってガールポップは主に二つに分かれます。つまり「アイドルが作詞作曲してる」パターンと「シンガーソングライターのルックスがいい」パターンです。
アイドルが作詞作曲してる、というので一番わかりやすいのは安室奈美恵です。
一方でシンガーソングライターのルックスがいい、これは俗に歌姫と呼ばれるようなカテゴリーですが、これで一番わかりやすいのはジュディマリ(YUKI)です。
この二つを見分けるのに一番いいのが実はロッキンオンジャパンです。
ロッキンオンジャパンでガールポップの範疇に属する人を取り上げるとき、実はこの「シンガーソングライターのルックスがいい」パターンしか取り上げません。宇多田ヒカルと倉木麻衣はデビュー当時はほとんど同じ位置づけだったというのはよく言われる事ですが、ロキノンが宇多田ヒカルだけを取り上げ、倉木麻衣をいなかったことにしたのはたぶんこういう事だと思います。
- 歌姫全盛時代とアイドル冬の時代
90年代からゼロ年代初頭にかけて「シンガーソングライターでルックスがいい」彼女たちに求められたのが「リアルである事」です。
つまり、ターゲットとする対象(主に女性だ)がリアルであると感じられるような歌を自分自身の力で作り出す事*1、それが歌姫達には求められました。これはルックスであったりライフスタイルもリアルであることも含めます。これはつまり、「手が届きそう」という事です。手が届きそうなぐらい「リアル」な人が自分たちの等身大の歌を歌ってくれる、これがガールポップが根強い人気を誇る最大の理由です。
この意味で、aikoがなぜ売れているか、恐らくaikoは圧倒的に「リアル」だからでしょう(だから反発する人もいる)。
一方で、「フェイク」であるアイドルそのもの、ないし「アイドルが作詞作曲してる」ガールポップは冬の時代を迎えます。
しかし、CDアルバム自体が売れない時代がやってきます。
アルバムのセールスが1万枚売れれば大健闘なんていう世界では、これまで通りのタイアップ頼みの戦術は通用しません。そして、「失われた10年」を経て私たちの思う「リアル」も移り変わります。
アコギ一本やピアノで自分の半径1クリック内の恋愛を歌うような人はもうすでにそれほど必要とされていない存在なのです。
恐らくこの端緒はトミーフェブラリーだと思います。ブリグリといえばガールポップの代表的バンドではありましたが、あえてそれを一旦やめてまで登場したトミーフェブラリーのサウンドは典型的なエレポップで、何よりその存在は「フェイク」でした。
沖野修也という人がいます。言わずと知れた、KYOTO JAZZ MASSIVEの一員であり、クラブジャズの第一人者ですが、彼の著書、その名も「クラブ・ジャズ入門」
- 作者: 沖野修也
- 出版社/メーカー: リットーミュージック
- 発売日: 2007/10/30
- メディア: 単行本
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という本の中で彼は「踊れるジャズ」と「ジャズの影響を受けたクラブミュージック」を明確に分けています。「踊れるジャズ」はレア・グルーヴ的な意味でDJによって「発見される」事によって再評価されますが、「ジャズの影響を受けたクラブミュージック」とは他ジャンル間の異種交配によって生まれます。
前日のエントリ*2でも取り上げましたが、この意味で「踊れるアイドル歌謡」と「アイドル歌謡の影響を受けたダンスミュージック」とは全く違います。「アイドル歌謡で踊る」という行為をメジャー化させたのは恐らくモーニング娘。の功績であろうという事であろうとは思いますが、同じく「アイドル歌謡の影響を受けたダンスミュージック」をメインストリームに押し上げたという存在は恐らくPerfumeであろう、という事になります。
そして「アイドル歌謡の影響を受けたダンスミュージック」における、
・フェイク感
・多ジャンル混合
・フロア対応
はガールポップの次のディケイドとなりうるのではないでしょうか。