あなたが「いいね!」と言ったから、SAO2はサブカルコンテンツ
読み終わった(著者本人から献本いただきました。ありがとうございます)。
この本の感想を一言で言うと、「貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ!」
である。久々に本を読んで感情を揺さぶられる、人に(レビューではなく)感想を言いたくなる本だった。
いつの間にか、伊集院光のラジオを聞かなくなってしまった
いつの間にか、フジロックに行かなくなってしまった。
いつの間にか、TVでくだらないバラエティやベタなドラマばかり見るようになった
いつの間にか、アニソンを平気で聞くようになってしまった
「昔の俺」からすると裏切り以外の何物でもないこれらの行為。
だが熊代亨氏(めんどくさいから以後シロクマ氏)によれば、それが軟着陸なのだという。
シロクマ氏の著作のテーマは毎度一貫している。
その主張を一言でまとめると、
「加齢による心理的なリスクを軽視することに対する警鐘と、伝統的・保守的な仕組みの再評価」
である。それを(それこそ、Civilizationを現実の人間社会におきかえてプレイしているかのような)いささかシステマティックにすぎる人間観のもとで語るーーこれがシロクマ氏の著作の特徴であった。
この本は要するに『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』におけるカーミィと途中で田舎に帰っちゃった男2人(とラーメン屋の男)の話である。
つまり、あの話が好きな人であれば誰もが痛いところがある著作である。
カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生
- 作者: 渋谷直角
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2013/07/30
- メディア: 単行本
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その意味で、この本はこれまでのシロクマ氏の本の中でも飛びぬけて「はてな村的」であり、「村人たちにササる」内容である。
そして、現実を論じているだけあって、格段に「イタい」。
本の前半では「オタク/サブカル/ヤンキー」という文化トライブを対象にしぼり、
そうした文化トライブがいかにして薄まり、"尖った連中”について語りつつ、
消費がアイデンティティの中心であるオタク・サブカルに対して、共同体主義的なヤンキー=国道文化の再評価を計っている。
後半では、彼らの加齢による心理的リスクとアイデンティティ論が語られる一方で、ロードサイド・地元に適応したリア充について語られる。
ここでは、コンテンツ消費に頼りすぎた人間の末路と加齢によるリスクについて語られる。さらに、シロクマ氏はコンテンツ消費に頼りすぎる事を「誰もあなたにとどめを刺してくれない」とまで言いきり容赦がない。
一方で、リア充に対しては比較的肯定的な評価が下されている。
要するに、時と場合に応じて、消費するコンテンツを取り変えながら、仲間とコミュニケーションし、友情を育んでいく……。さながら「ペルソナ3」ないし「ペルソナ4」の主人公のような一種の超人について語られている。
ここの記述で怖いのは、そうしたコミュニケーション強者によって作られた社会はあらかじめコミュニケーション弱者を排除しており、彼らは我慢するか、引きこもるしかなくなるのだという。
そう。コミュニケーション弱者の話だ。
俺たちがコミュニケーション弱者だった時、救ってくれたのは誰かにとってはゲームであり、誰かにとっては(当時そうはよばれてなかったけど)ライトノベルやアニメであり、誰かにとっては深夜ラジオだった。
だが、それを救ってくれたコンテンツたちはもはやショッピングモールで誰もが手に入れられるものになってしまった。
上京も、サブカルも、オタクも、彼らを救ってはくれない。
それはとても恐ろしい事だ。
コンテンツ消費に頼りすぎることにより、心理的なリスクを負うこと。
これは確かに問題ではある。
だが、シロクマ氏も薄々気が付いていることだろう。
この問題が90~00年代に青春を過ごした人間にしか当てはまらないこと。
そして、彼らがその問題を今のところ大して自覚していないことを。
カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌っちゃう女はそれほど多くはない。
残念だが、これらの理由により、恐らくこの問題は「本人の問題」「この世代特有の問題」とされ、切り捨てられるだろう。
だが、切り捨てられる側の人間が思うのは、
俺たちはいささか過剰だったのかもしれないが、他の人たちだって多かれ少なかれそうなのだ。
「分相応に歳を取り、一つのことに自分のリソースを傾けすぎないようにする(この辺の結論がいかにもゲーム的だ)」
導きだされた結論はいかにも平凡で、地味だ。
だが、それでも、その結論を誰かに言って、聞いてみたい。「お前はどう思う?」って。ワタミか金の蔵で発泡酒でも飲みながら。
もう一度言っておこう。id:p_shirokumaよ、「貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ!」
Webライター究極の教科書(かもしれない)「ナタリーってこうなってたのか」
話題になっていた「ナタリーってこうなってたのか」をkindle版で読了。ハイライト付けまくったので内容をまとめておこうと思う。
ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)
- 作者: 大山卓也
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/08/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)
- 作者: 大山卓也
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/09/05
- メディア: Kindle版
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本書を読み終えて感じるナタリーというサイトの凄さは2点ある。
一つは、編集方針を極めて明確な形にしたこと。
そしてもう一つは、ネット上で1次ニュース化していることである。
本書内で度々語られているとおり、ナタリーというサイトは「音楽誌」とその鬼子であるところの「既存Webメディア」を反面教師(ないしデキの悪い後輩)として成立している。
本書の中で何度も何度もくどいぐらいに語られているのが、
「批評しない」「全部やる」といった言葉であり、
そうした編集方針を象徴するのが冒頭で語られていた「編集者の仕事は自己表現ではない」という言葉である。
既存の音楽メディアであれば、ここで「ロックとは何か」「ポップとはなにか」というような概念を持ち出して編集方針とする。自分達で定義した「取り上げるべきミュージシャン像」というドグマをもとに、「取り上げるべき/取り上げるべきでない」という線引きを行う。それが当然とされていた音楽業界という、カギカッコ付きの「批評性」を求められる(と言われていた)分野でそれを成し遂げたところが凄いところである。
音楽誌という分野では、それが表面に出やすく、神学論争化しやすいのだが、その一方でどの雑誌でも「○○らしさ」というものを(普通は)大切にしようとする。昨今明らかになった通り、朝日新聞や産経新聞だって、そうした「らしさ」をもっているし、最近明らかになっているとおり、ライターから編集、果ては学者の面々まで、こぞって「キャラ化」してそれを前面に押し出すということをやっている。
そこを完全に捨てている点。まずこれが凄いところである。
もう一つ。「批評しない」「全部やる」という編集方針の結果、ナタリーというサイトの記事が1次ニュース化している点である。
本書中に挙げられている例でいえば、「倉木麻衣がテレフォンショッキングに出演」という事実は、当然ながら新聞のラテ欄を見ればわかるだろう。だが、webで記事にならない限りは、web上での価値はゼロ。
しかも、出演するのがわかっても翌日には価値のなくなってしまう情報である。つまり、ラテ欄を見てから書いてたんじゃ遅い。
そこで、「倉木麻衣はロックじゃないから」とか「上司の決裁を取ってから」みたいな事をやっていると、こうした記事は書けない。しかも、朝日新聞のような大手メディアでは、当然こんな記事は取り上げるはずもない。最速で記事を書けば、ナタリーの記事がWeb上の1次情報になる(もちろん、その情報が信頼性があり、批評性のない記事であることが大前提ではある)。
本書内でも度々「ナタリーはキモい」みたいな事が書かれているが、新聞社のような大手メディアに対して、メディアを成立させるにはキモくなければならない。Webにおいて最も求められる速報性と網羅性を両立させたこと。それが本書でかかれたナタリーの凄さだと思う。
これ、書いてあることをさらっと読んだだけだと「へーそうか、じゃあウチもそうしないとな」的な感想を持ちがちだが、そう思うのとそれを実行するのとでは1000億光年ほどの距離がある*1。こうした方針を実行することはそれはもう大変なはずで、
その凄さをどう実践する仕組みについては本書の中では一部しか語れていないが、その断片のようなものは読みとれる。恐らく、
・記事制作スケジュールを全員で共有
・記事の単価制ではなく、給料制
・ライティングを外注していない(自社内でライティングを行っている)
・デスク制(記事品質のダブル・トリプルチェック)
といったところ。そうした「ナタリーらしさ」という確固とした編集方針があった上で、それを仕組み化している。そんなところがナタリーの凄さなのではないかと思う。
先に挙げた「編集方針」の部分はどうしようもない部分もあるが、こうした記事の品質を担保しつつスピード感をいかに作っていくか、という仕組み作りの面では非常に参考になった。その意味でWebライターにとっての究極の教科書なのかもしれない。
無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい (角川書店単行本)
- 作者: 松井忠三
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/09/10
- メディア: Kindle版
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*1:っていう修飾語を記事内で絶対使わないのが凄いところなんだろうけど
異色のこじらせ映画、『さまよう小指』を見た
イベント登壇ということで、事前に『さまよう小指』を見た。
ストーリーはこんな感じである。
主人公・桃子は、5歳の頃から片思いをしている涼介にフラれてもフラれても諦めない、「恋愛ターミネーター」。そんな桃子はヤクザの女を寝取ったせいで、小指を詰めさせられた涼介の小指からクローンをつくり、夢のような日々を過ごす。その矢先、涼介本人にクローンの存在がばれてしまい、はなればなれに…!?
話のテンポがよく、時間も短めだったので飽きずに最後まで見ることができた。あと、会話のやりとりも面白かった。
何より主人公の我妻三輪子はかなりカワイイ。いわゆる「サブカル美人」顔で、好きな人にはかなりツボに入ると思う。あと、かでなれおんもヤリマンナース役で出ていて素晴らしい!
で、ここでは、映画を見て思った事を少し書きたいと思う。
そもそも、非モテ(男子)なり、こじらせ(女子)というのは、基本的に実存の表明であるというのと同じぐらいセンスの問題であった。
要するに、
「自分達は『モテ』という市場の中では敗北者なんだけど、『モテ強者』にはわからない確固たる『センス』がある」
というのが、非モテなりこじらせという主義主張の根幹にある。
映画『モテキ』の例を持ちだすまでもなく、だからこそ、多くのサブカル映画・サブカルドラマはその映画自体に登場するガジェット=センスを競ってきたわけだ。
だが、ここで問題になるのは、今の世の中において、そうしたセンスを競う事自体がそもそも成り立たない。
それは、競争する相手がいなくなっているため成り立たないという意味なのだが、その代わりに登場してきたのがその人の成熟度合いを競うという図式だ。
そこでいう成熟とは、ごく端的に言えば友達が多い、彼女がいる、結婚している、子供がいる、会社で正社員で働いている、といったことだ。
その意味でこの映画は、センス競争的な文脈は背景に退く。
では、成熟競争をするのかというと、「成熟」の段階すらすっ飛ばす。
実は、成熟はセンスよりもずっと努力が必要である。
彼女を作るにはモテる努力が必要だし、結婚して仕事を続けるのも大変だ。
だが、『さまよう小指』内においては、そんな努力は存在せず、開始から数分で「ずっと想っていた人の小指からクローンを作る」という超ウルトラCを使ってこの成熟競争に勝利する。
自分の手で自分の理想の異性を作り上げてしまうという解決策は、考えようによっては非常にホラーだ。だが作中ではそれを感じさせない。その作りは素晴らしいのだが、それはともかく、以前、私は映画『モテキ』に関して、
ご都合主義的に自分のやりたい事を仕事としてゲットし、なお仕事をほっぽりだして恋愛(しかも超わがままな理由でフッたりする)に邁進するフジ。これに共感しろという方が無理である。というか、許されるなら殴り倒したい。
と書いた。
だが、『さまよう小指』でも開始数分で、小指が降ってきて解決してしまう。
では、その後で物語を駆動させるのは一体なんなのか。
要するに、「理想化された好きな人と現実の好きな人」とどっちを選ぶのか、という選択の問題になるわけなのだが、その結末がどうなるか。是非劇場で確認してみてほしい。
本屋B&Bさんのイベントに登壇することになりました。
9月8日に、『さまよう小指』という映画の公開を記念したトークショーに今度登壇することになりました。
シマヅ×オガワチエコ×古田ラジオ×大川竜弥×竹葉リサ「こじらせ生物学者たちの集い」『さまよう小指』公開記念 | B&B
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2014で最高賞/シネガー・アワードの2冠に輝き、更にロッテルダム国際映画祭に出品を果たした新星・竹葉リサ監督が描く、初の長編映画『さまよう小指』。
劇場公開を記念して、公開直前トークイベントが決定!各界で活躍中の“こじらせ”に詳しいプロたちが、こじらせ女子のためのバイブル映画?!『さまよう小指』を紐解き、男女無差別で “こじらせ”にまつわるあらゆることを語り尽くします!
また、本イベントでは、“こじらせ”に関するお悩みやエピソードを募集します。
必定事項を明記の上、以下のメールフォームまで投稿ください。■宛先:reserve@bookandbeer.com
■タイトル:9/8(月) 『さまよう小指』公開記念
■本文
・お名前 (ニックネーム可)
・年齢・職業(任意)
・お悩み/エピソード※投稿された方のエピソードは、会場にてご紹介させて頂きます。
B&Bさんは、行きたい行きたいと思っていましたが、まさか登壇者としていくことになるとは…!!
事前に映画の方も見ましたが、なかなかの非モテぶりが面白かったです。
平日の開催になってしまいますが、ご興味のある方は是非おこしください。
書くことの強度は「好き」ではなく「興味」によって決まるのかもしれない
「使い捨てライター」にならないために #ブロフェス2014 - インターネットの備忘録
読んで思った事。
この間、3時間ぐらい同業の人2人と話をした。
2人ともアニメライターなので、まぁ意味がわからん部分が多々あったんだけど、結構面白かったっていうか、根幹の部分は似てるところがあった。
アニメといえば、自分の「好き」が前面に出そうなテーマである。
アニメライターなんてやってるんだからアニメが好きで好きでしょうがないんでしょ、と。
だけど、実はそんなことはあまりなくて、ライターとして食っていくためにたまたま関わったのがアニメで、関わったら面白かった。「アニメの○○が好きです」なんて人は逆にいつの間にかいなくなってることも多いんだそうだ。
そして、ブロガーからライターにシフトチェンジしようと思った時に一番自分が苦労したのもこの部分だった。
ブロガーというのは、基本的に好きなことを基準にテーマを決める。好きだから書くし、嫌いだから書かない(かDISる)昔の自分にとってのそれは非モテ(伊集院光のラジオ的童貞)だった。
でも、自分にとっての「好きなこと」には多くの先輩がいて、童貞の数に対して童貞ライターの数が飽和状態である、ということはわかり切っていた。また、自分が非モテに対しての興味や当事者性を維持し続ける事が難しい(というか、維持してはいけない)こともわかっていた*1。そこでひねり出したのが婚活というテーマだった。
婚活というテーマを男が女性向けメディアに書いていることってそれほど多くはないし、ましてや、実際にサービスを使ったりしていることも多くはない。さらに言えば、ちょっとディープな切り口としては「非モテが婚活してる」みたいな切り口もできるだろう(腐女子が婚活して○○みたいなマンガのパターンです)。
なんて考えだったもので、「婚活」というライターとしてのテーマは完全に逆算で導き出されたもので、好きでもなんでもない(というか、婚活が「好き」という人間はあまりいない。だから、たまに「婚活の楽しさを書いて」みたいな事を言われると困る)し、「評論」がしたいわけでもない。
じゃあ、なんでそんなのを取材してるのかっていうと、婚活をしている人とか、サービスの構造、このサービスはこう進化してるみたいなところに「興味」があってそこをずーっと深堀している。
昔、○○ってサービスがあって、それはひっそりとサービス終了してるんだけど、それを元ネタに今別のサービスができて…みたいな話をいつかまとめたいなと思って。
あと、なんだかんだ言って、やってる人達って切実なんだと思う(かつての俺のように)そういうのを何とか伝えたいと思って、毎回取材している。
で、多分婚活に興味がなくなるか、あるいは年齢的に婚活をテーマに書くことがキツくなってきたら(この可能性は結構ある)、他のテーマを探すつもりなんだけど、アニメライターっていう職業も似たような感じらしい。
ただ、難しいのは、自分が嫌いなことをテーマにしても書いたり、取材したりなんて普通は続けられない。だから最低限興味のあることなんだけど、それが好きすぎてもいけない。
「好き嫌いではなく、興味から対象を深く掘り下げる事ができるかどうか」
案外書くことの強度っていうのはこんなところで決まるもんなのかなと思った。
31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる (ウィングス・コミックス)
- 作者: 御手洗直子
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2012/10/25
- メディア: コミック
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*1:ちなみに、その時の俺の判断は今のところ間違ってはないと思っているけれども、そこはまた別の機会に
SPA!さんの新メディアで記事書きました。
SPA!さんが立ちあげた「ビジネスパーソンのための“すぐに役立つ”情報サイト」HARBOR BUSINESS Onlineにて企画・取材・記事執筆を担当しました。
週刊SPA!(スパ) 2014 年 08/12・19 合併号 [雑誌] (週刊SPA!)
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2014/08/05
- メディア: Kindle版
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今回はいつもの婚活ネタではなく、転職について。
【転職に失敗しない求人広告の見方】チェックすべきポイントは?というタイトルで、転職サイトの使い方についてリクナビネクストを運営されているリクルートキャリアさんに取材しました。
婚活以外も頑張ってますので案件ある場合は是非お声掛けください!
「婚活ブーム」が終わるかどうかを決めるのは、市場であってイデオロギーではない
アゴラで「長岡 享」という人が婚活批判記事を書いていたのだが、あまりにも謎すぎるのでご紹介したい。
「婚活」ブームの危険な正体 --- 長岡 享 : アゴラ - ライブドアブログ
ところで賢明なる読者諸君は、
日々の生活で、井之頭五郎ばりに腹が減ることもあるだろう。そこで、たまたま近くにあったコンビニでカップめんを買って食べたとする。すると、近くにいた老人が
「カップめんは体に悪い。だからカップめんは悪だし、カップめんを売っているコンビニも悪だ」
と言い出したら、どう思うだろうか。まぁ、ふつー無視するだろうが、長岡 享という人が言っているのは、要はそういうことである。
腹が減る⇒コンビニに行く⇒カップめんを買う⇒カップめんは体に悪い(かもしれない)⇒カップめんを売っているコンビニは悪だ
同様に、
結婚できない⇒婚活する⇒結婚相手を探す⇒参加者は金目当ての悪人(かもしれない)⇒悪人が参加している婚活は悪だ
という理論。これが長岡氏の理屈である。
婚活という現象自体はコンビニという業態と同じく、いいとも悪いとも言えない。そもそも、長岡氏のいう「慣習」であるお見合いも婚活の一部ですから*1!
必要だから使うし、必要ないなら使わないだけ。婚活が必要ないと多くの人が判断すれば婚活業者はいなくなるはずで、
「婚活ブーム」が終わるかどうかを決めるのは、市場であってイデオロギーではない。
参加者が金狙いだから悪いとかそういうレベルの問題ではない。さっきのコンビニの例えでいえば、コンビニに行くかどうか決めるのは私だし、コンビニで何を買うのかを決めるのは私である。要は、「なにしようが俺の勝手」なわけで、他人が口を出す筋合いのものではない*2。
嫌なら使わなければいいし、婚活がそんなに気にいらないのなら婚活しなくても済むようになるにはどうしたらいいのか提言してほしいものだ。本当にコンビニが悪だと思うのなら、カップめんを取り上げる前に腹が減らなくなる方法を教えてほしい。
もっとも、普通の人であれば、そんなことは無理なのはわかり切っているから、そんな恥ずかしい事は言わないわけだ。
それはそうと
男性を経済的指標に還元して商品化する「婚活」ブームは、そのいびつさから早晩ブームを終える。
と婚活している女はみんな金狙いだと書いてると思ったら、
大多数の婚活女性もまたマスコミがフレームアップする打算的な腐女子などではなく伝統的な価値観につらなる日本女性のDNAを受け継いでいるものと私は信じている。
なんて感じで、婚活女子は悪くなくて腐女子が打算的っていうあさっての方向への批判が繰り広げられて謎すぎるんだが。
大部分がまともなんだったら、別にいいじゃん!と思うのは私だけなんだろうか。
要は婚活っていうフレームを作ったのが左がかった人だから嫌っていう話なんだろうか。