古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

マッドチェスターマーケティング

Lonely in Gorgeous

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今日、たまたま入った店の有線放送かなんかでTommy february6の新曲を聴いたんだけど、マッドチェスターなんですかね。あれは。Tommy february6って何がすごいってそのマーケティング力だと思う。メガネが来るって言われる半歩ぐらい先にメガネ、半歩先に80年代サウンドみたいなね。通常、アーティスト的には「恥」なんだけどね。マーケティング力があるっていう褒め言葉は。


それはともかく、Tommy february6はマーケティング力がある、と。で、そのマーケティングの先に「マッドチェスター」があるのかな。「これだったら洋楽ファンの君らも聴いていいでしょ?なんてったってメガネの私が歌ってるんだから!」みたいな。まぁこれでマッドチェスターの精神性云々とか堅苦しい話をするつもりはない*1んだけど、これ聴きながら「いや〜これマッドチェスターだよ〜」とか言って身悶えしてるロキノソ読者を横目で見ながら札束の海で高笑いしてるんだろうなぁ。川瀬は。

*1:ファクトリーってのはインディスピリットを体現していて・・・みたいな。

これが俺のテンプレート


http://d.hatena.ne.jp/normal/20051216#1134727249
より。最強だ。これに習って私も。


「言っとくがな、相手は生身のTommy february6なんだぞ!」


ano*1 への返答をいざ書こうとすると心底ムカついてくるので手短に書く。
(めんどくさいので中略)
しつこいぐらい繰り返すが、相手は生身のTommy february6なんだぞ!
マンガやアニメのキャラクターじゃないんだ。
嫌なことがあれば傷つくし*2、それが一生モノの深手になる事だってある*3。それぐらいは理解しとけ。
ったく。


「ったく。」っていうのがいいですよね。これにインスパイヤされまして、私も一つ作ってみました。


「はてなもこれで「非モテ後進ブログ」に格下げですなぁ」


ライブドアココログ(メジャーブログサービス圏内)での主力トピック(恋愛)と、はてな内での主力トピック(恐らく非モテ)が異なるというコトは、つまりはてなではクソエントリ(非モテ同士の内ゲバ)しか流通しないというこでしょ?よう知らんけど。

ブログ産業(書籍化、アフィリエイト含む)の主導権はライブドアにあるので、はてなはそれを「追いかける」立場でしかないわけですよ。

ブログはアクセス数なしでは成り立たないモノだ、というアタリマエの事を再確認せにゃならんのですな。


ブログを「はてな史」としてしか理解していない人間は「なぜライブドア非モテブログがウケないのか」を不思議がるわけですが、ブログが「アフィリエイト・書籍化」を分母としていることを知っている人間からすれば「なぜはてなでは21世紀になっても非モテに没頭しているのか」のほうが不思議なわけさあね。


以上!

*1:誰?

*2:口パク疑惑の事。作者註

*3:激似AVが発売された事。作者註

わりと頑張れば理解できる非モテ(仮)

今日は、これまでのモテ・非モテ論争をまとめつつ、ちょっとだけ賢くなる、そんなエントリを書きたいと思います。かなり長いですが、ご容赦ください。

突然ですが、歴史学の歴史って皆さんご存じですか?歴史の父と呼ばれたヘロドトス*1の事は皆さんも名前ぐらいはご存じだと思います。あるいは司馬遷とか。彼らは世界最古の歴史家(歴史学者ではないことに注意)と呼ばれているのですが、彼らの書いた作品「史記」や「歴史」が世界史かというとそうではない。残念ながら地域史なんですよ。これは叙述される地域に限界があるためなんですが、これと同じことが非モテにもいえます。太古から、いわゆる非モテの先人たちはいたんですよ。それは伊集院光だったり、みうらじゅんだったり、大槻ケンジだったり最古では水木先生だったりがモテないことの悲哀であるとか、文系のイタさなんかを表明してきたわけです。ただ、それは自分の体験に即したもの、つまり、単なるモテない組の体験記だったわけです。


で、それまで「ヨーロッパ史」にすぎなかったものが、なぜ世界史になったのかというと、それはあれです。1492(意欲)に燃えるコロンブスだったわけです。大航海時代だったわけです。レオポルト・フォン・ランケ*2に至り、歴史家は歴史学者になりました。
同じように非モテにとってもインターネットが、具体的にいうなら、にちゃんねるの発明が同じようなインパクトを与えたと考えられます。つまり、D-1層の発生ですね。ここに来て個々のモテない語りから非モテという問題が発生したという。ただ、そこでヨーロッパ人が編み出した近代歴史学、私たち=すごい、他人=バカというヨーロッパ中心史観だということは注意が必要です。同じように、非モテ=善、ヤリチン=悪という二元論が幅をきかせる事になります。


さらに、時代がくだり、一つの国に一人の国民という虚構、つまり国民国家の時代に至り、歴史学は神話になったのでした。我が国の国民固有の(そして、我々が一番優れている)物語として。これはちょうど、非モテ界において、「真の非モテはだれだ?」と非モ天下一武道会をひらいている状態と似ています。私だけが非モテであるという。
一方で、資本主義の発達によって貧富の格差は拡大しました。
そんな時に表れたのがマルクスでした。今の高度化した資本主義はかならずや滅び社会主義にとってかわられるという、マルクスの社会主義ってのはイデオロギーである以上に歴史理論だったわけです。同じように非モテ界においても同じように主張している人たちがいます。今の高度化した恋愛至上主義は必ず自壊し、萌えによってみんな平等に恋愛という果実を得ることができる。さしずめ本田透なんてのはマルクスみたいなもんです。


2度の世界大戦のあとの歴史学っていうのは、統一的な理論というものは存在せず、いろんな説をそれぞれの人たちが提唱するにとどまります。
例えば、フランシス・フクヤマのように、「リベラルな民主主義社会が実現した時、歴史は終わる」と主張しました。これはさしずめ、「リベラルな形でのモテ化=非モテオフによって非モテは終わる」というのに似ていますね。「大英帝国の発展は工業力によるものではなく、ジェントルマンによる金融革命による」っていうジェントルマン資本主義論なんてものもあります。これは、非モテ問題の解決には彼女を作るよりもコミュニケーションスキルの向上こそ重要だといってるようなもんです。あとは、I=ウォーラーステイン。彼の主張する「世界シテム論」は私がイメージしているABC理論そのままです。
あとは、昔ながらの物語的歴史だったり、マルクス主義っていうのも、どっこい生き残っているわけです。


さて、歴史学の歴史を学ぶにあたり、最後の巨人を紹介しなければなりません。フェルナン・ブローデル*3です。フェルナン・ブローデルアナール学派*4が残したものといえば、いくつもあるのですが、歴史学に社会学や心理学の手法を取り入れた事と、従来の歴史学で扱わなかった歴史・例えば、性や監獄の歴史を取り扱った事です。これによって歴史学は無限の拡がりを持つことになりました。そして、今、非モテの世界でこそ、こういうことが必要なのでしょうね。社会学なんていう高尚なものでなくてもいいので、脱オタクや、オタク、サブカルの知識をその中に取り入れる事。そして、いつもの「モテる、モテない」といった話だけではなく学際性を持つこと。それが必要なんじゃないですかね。

長々とスイマセンでした。

*1:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%88%E3%82%B9:title]

*2:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B1:title]

*3:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB:title]

*4:そこの童貞諸君!エロイ意味は一切ありません!