古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ジャンル帝国衰亡史

真の音楽とか、真の小説だとか、人はよく言うけどそんなものは大抵どこにもない。
あるジャンルにおいて、人気が出てくると、いろんなコンテンツが出てくるし、ファンもいろんな人たちが入ってくる。そんな中で「真の○○」が制定される理由の一つには自分が好きなジャンルとそのジャンル内にある自分が嫌いなものを分けるため*1、もしくは「自分」と自分以外の「イタいファン」とを分けるため*2で、どちらも要は増えすぎたジャンル内の人口を減らし、かつ自分たちの趣味に合う人・コンテンツを囲い込むために行なわれる。これは「ファン」と「クリエイター」による共犯関係だ。
例えば、小説は「真の小説」を純文学と呼び、「偽の小説」を大衆文学と呼んだ。さらに大衆文学とも呼びたくないものをライトノベルと呼ぶことにした。音楽においても、邦楽界においては「真の音楽」をJ-POPないし「ロック」と呼び、既存の音楽を「歌謡曲」と呼んで「偽の音楽」扱いした。これはまんまロキノン史観なんだけど*3
確かに「真の○○」が制定される事によって、そのファン達の周りには心地よいセカイが広がる事になる。余計なノイズはなくなり、イタいファンもいなくなり、周りにはファン達が望む「真の○○」だけが存在する事になるから。だけどそれによってジャンルは硬直化して、自らの手足を縛ることになる。
そもそも、ジャンル分けを細かくすればするほど、ファン人口は少なくなるし、そこに住む人たちも高齢化して「常連さん」だらけになる。人口自体が少なくなるのだからその中から「ファン」から「クリエイター」にクラスチェンジする人も少なくなるし、市場としてのインパクトに欠けた場所に新規に参入しようというクリエイターも(一般論では)少なくなる。というか、ジャンル分けはそれをまさに目的としてなされる。
そして、ある時、かつてあれだけあげつらった近接する「偽の○○」からイキのいい人々が現れる。初めのうち「常連さん」たちは「あれは偽物だから」と言って仲間に入れようとはしない。もしくは無視する。初めのうち、「真の○○」に力があったり、「イキのいい人々」が少数のうちはそれでもよかった。ところが、そうした「偽の○○」から多数の「イキのいい人々」が出てきて、そのうちの何人かは「真の○○」も上回る成功を納めるようになる。そうした時に「常連さん」達は仕方がなく「偽の○○」の一部を認める。だが、そのうち「これも認める、あれも認める」をやり続けた結果、無限の後退戦を強いられる。そして、そのジャンルはかつては唾棄していた「偽の○○」達によって征服される。
つまりは、遠からず、「真のライトノベル」、「真のエロゲー」、「真のアニメ」も「誰か」によって制定される、という事だ。

*1:任天堂ゲームとキャラゲーを分けたい、みたいな。ハックルベリー脳!

*2:ノキノン脳!

*3:「真の音楽」としての宇多田ヒカルと「偽の音楽」としての山前五十洋氏の娘、みたいな。あくまでロキノン史観。