ワナビーをバカにするものはワナビーに殺される
私から見て明らかに「何者かになりたがっている(いた)」人、これまでの人生で2人だけ思い浮かぶけど、逆に言うと2人しか思い浮かばない。そんなに多いのかな、何者かになりたがっている人。
— Ta-nishi (@Tanishi_tw) 2021年6月30日
この2人のうちの一人ってたぶん俺なんで応答しておく。
サマリー
ワナビー(何者かになりたがっている(いた)人と言いかえても良い)とは、何かに憧れ、それになりたがっている者のことを指す。だが、これだけでは不十分だ。まず、ワナビーというのは「漫画家・小説家」「ゲームクリエイター」「人気YOUTUBER」のような『人から羨ましがられるような人気職業を目指している人』という意味が付加されている。加えて、ワナビーには『人気職業を目指して失敗している人』のことを指す。手塚治虫はマンガ家ワナビーとは言わないし、ウメハラはプロゲーマーワナビーと言う人はいないだろう。かれらは実際に自分のなりたいことを実現させているからだ。同様に「サラリーマンワナビー」なんて人はまずいない。サラリーマンなんていう職業はありきたりで誰にでもなれるからだ。
つまり、
- 人から羨ましがられるような職業を目指し
- かつ、それに失敗している人
というのがワナビーの定義となる。
失敗している人のことをワナビーというわけだからマウントを取るには格好の相手である。かくしてワナビーはあらゆる人からバカにされる存在となる。
2.ワナビーとは「ライフスタイル」である
さて上段で成功した(夢を叶えた)ワナビーはワナビーとは呼ばれないということを書いたが、では「成功する」のはいつだろうか。こればっかりは誰にもわからない。1秒後かもしれないし10年後かもしれない。そして、その人の人生においてワナビーだったことがどう影響を及ぼすかは誰にもわからない。ワナビーだったことで生活に困窮するかもしれないし、成功するかもしれないし別のことで成功するかもしれない。つまり、ワナビーとは、明確な夢・目標ではなく(渡邉美樹のことを「居酒屋ワナビー」とは言わず、佐川でバイトしてたことは「努力」として扱っている人がほとんどだろう)、非モテやゴスロリなどといった「文化的なトライブ(部族)」ではなく「今婚活してるんだよね~」とか「最近ダイエットしてるんだよね~」といった『ライフスタイル』のようなものなのだ。「ダイエットしてるんだよね~」という友人に「ダイエットする意味がわからない」とか「ダイエットの仕方が間違っている」とか言うのはまず野暮だし、その人と喧嘩する覚悟が必要だろう。同様に、たまにワナビーの「成功するための努力の質」みたいなことを云々するのもだれがどんな形で成功するかわからない以上あまり意味がある話ではなく「黙ってろ」という話になるだろう。
3.それでもワナビーをバカにしないほうが良い理由
さてまとめてみよう。ワナビーというのは①人から羨ましがられるような職業を目指し
かつ、②それに失敗している人のことを指す。「失敗していること」が定義の中に含まれているため、いわゆるマウンティングのようなことに極めて弱い。そして、ワナビーが「成功したワナビー」にいつなるのかということは誰にもわからず、いわゆる「ライフスタイル」のようなものなのでそれに対してツッコミを入れること自体が「野暮」ということである。それではワナビーをバカにしないほうが良い理由とはなんだろうか。まず、ワナビーはいつ成功したワナビーになるかわからないというのが一点。例えばだが、手塚治虫がマンガ家になりたいといった時に「え~手塚のやつマンガ家ワナビーだぜ~」みたいなことを言っていた人間が当時いたら(いたと思うけど)、そいつは「アホ」だろう。だが、私たちが「マンガの神様になんてこというんだ!」と思うのは、私たちが後年の手塚治虫の業績を知っているからに過ぎない。つまりワナビーをバカにするということは「イチローを見いだせなかった土井正三」「韓信を登用しなかった項羽」的に後世の人間から笑われるリスクを負っていることは覚悟しておいた方が良い。
そして、「ワナビーであること」はライフスタイルである以上、人生にどんな影響をあたえることになるのか誰にもわからないということだ。実際、私も飲み会などで毎回「いいワナビーですね~」といわれるぐらいにはワナビッていた(こじらせていた)のだが、結果なんだかんだあってその後も無事に生きているし、何なら年収なども大幅にアップしていたりしていなかったりしているわけで、そこにワナビーだったことがどれぐらい影響を与えているかはわからない。そしてそういったどうなるかわからない類ものに対して先に価値判断することって、怖いことだと私は思う。